講 話(8月4日夜)

 






障害児療育における家庭の役割



 香川県身体障害者総合リハビリテーションセンター     

        訓練科 言語療法室  笠井 新一郎

        (現:九州保健福祉大学教授)




  

はじめに


 障害児療育(特に、言語療法の立場から)に携わって20年以上が経過しました。

今ふりかえってみて、私の臨床は、子どもたちや両親から教えられ、学ばせてもらう

日々だったような気がします。そして、その子どもたちから、どんなに障害が重くて

も、その子どもたちを取り巻く大人たちの暖かい思いと適切な援助によって、その子

なりに成長・発達していくことをまざまざとみせられた20年でもあったような気が

します。この発達保障の原動力は家庭にあるように思えるのです。つまり「真の療育

者は両親である」ということばがありますが、まさにその通りのような気がします。

私たち専門家といわれる者は、「単なる側面的な援助者にすぎない」ということば通

りだと思います。

 今日は、私が、日々の臨床を通して、常々考えている障害児療育における家庭の役

割の一部について考えてみたいと思います。





父親の役割


 障害児をもった家族には、何回もの危機が直面してきます。それらの危機に、直接

的に向かい合うのは母親であることが多いのですが、それらの危機を乗り越えるため

には、父親の理解、協力がどうしても必要です。

 第一の危機は、自分の子どもが、何らかの障害児であるとわかった時です。その時

の家族(特に母親)の精神的ショックは想像を絶するものがあります。とても子育て

を楽しむどころではないのです。己れを責めたり、運命をのろったり、周囲に気を遣

い、先を案じて子どもに手をかけてしまうことさえあります。現実に手を下さなくて

も、心のなかにわが子殺しを描かなかった母親は皆無といえます。しかし、この時期

における父親の大多数は、母親の苦悩に気が付いていないことが多い(重症児や染色

体異常児を除けば)のです。もし、父親がこの時期に母親の苦悩に気づき、母と子を

おおらかに包みこめること、感情的な反応に溺れないように支えてやれること、現実

から逃避しないことなどの態度を取ることができたなら、母親の精神的ストレスは軽

減でき、良循環的な母子相互作用が確保でき、子どもの成長・発達によい影響を与え

られます。そうすれば、第一の危機をうまく乗り越えることができます。

 第二の危機は、第一の危機を乗り越えて、障害をもった子どもをわが子として、し

っかり育てていこうという決意をして、育てはじめた頃に襲ってきます。もともと「

弱い存在」として生まれてきた子どもの場合、元気な子どものような、両親が期待す

る反応が得られないために、どのように育てていいのか、わからないで悩み、苦しむ

期間が長く続くのです。特に、核家族化が進んだ現代社会においては、ますます母親

にかかる負担はたいへんなものです。一方、父親も職場での役割が日増しに増える年

齢層になってきており、定時に帰宅できる環境ではなくなってきます。こんな状況下

で、「子育てはお前にまかす」といった態度をとる父親が多く、母親が子育てに苦し

んでいても、無関心を装うことが多いのです。しかし、父親が自分の子どものことを

まったく心配していないわけではないのです。心のなかでは、とてもとても心配して

いるものなのです。具体的に、どのように関わっていいのかわからないで、手がだせ

ないもどかしさのなかで、悶々としているというのが真実です。

 こんな時に、専門家からいろいろな指導・助言を受けている母親が、父親に具体的

な関わり方について見本を提示して、3人でいっしょに遊んでみる機会を作ること、

その積み重ねで、父親の不安はかなり解消されるし、わが子を可愛いと思えるように

もなるものです。この時、母親が父親に言ってはいけないことばがあります。「へた

くそね」とか、「〜ちゃんは、さっぱり喜んでない」などのことばは、父親には絶対

に言ってはいけません。むしろ最初は、だれでもうまく関われないのだと思っていた

だいて、父親の子どもへの関わりについて「おとうさん、じょうずね」、「〜ちゃん

が、こんなにうれしそうにする、はじめてよ」などと大げさに誉めてあげることによ

って、父親の子育てへの参加がとてもスムーズになるのです。このような機会が何回

か起これば、障害をもった子どもに対する理解も深まるし、母親のたいへんさも少し

ずつ解ってくるようになってきます。ここまでくると、第二の危機も乗り越えられる

ようになってきます。そして、母親ほど直接的に子育てには参加できなくても、父親

が母親の一番のよき理解者になっていきます。その後にも、次から次へと危機が襲っ

てきますが、第一、二の危機を乗り越えられた夫婦であれば、充分に危機を乗り越え

ていけます。

 障害児療育における父親の役割は、たいへん重要なものがあります。とにかく、子

育てに前向きに取り組む母親になってもらうように、経済的・物理的・心理的な諸条

件を整えることが父親の最大の役割です。障害をもった子どもが、順調に成長・発達

するか、しないかは、父親しだいといっても過言ではありません。 





トライアングル方式の援助を


 専門機関(通園システムの療育機関を含む)、家庭、保育園・幼稚園が有機的に緊

密な連携をとってはじめて、障害児の発達保障が可能になります。この3つの場が、

有機的に緊密に連携することを障害児療育の「トライアングル方式」といいます。こ

の3つの場が、同じような役割を果たしても意味がないのです。この三つの場は、明

らかに違う役割を果たしていく必要があります。

 専門機関は、その子の問題点を明確に整理して、今その子が身につけなければなら

ないことを個別的に、系統的に援助していく立場にあります。日常生活習慣、言語・

認知などの発達課題の質的発達(たての発達 新しい課題を身につけさせる)を促す

場です。これらの発達課題が50〜60%以上通過できるように援助しています。1

つの課題ができれば、次の課題へと移っていきます。しかし、専門機関で行なわれる

対応は、実生活からかけ離れた非現実の空間で行なわれるものです。だから、専門機

関で身につけはじめた課題を、実生活の場である家庭で確実なものにしていかなけれ

ばなりません。

 家庭は、専門機関で身につけたものを確実に使えるようにする場です。つまり、量

的発達(よこの発達 獲得した課題を確実にする)を促す場です。最近、障害がある

とすぐに「集団に入れなさい」と言って、保育園・幼稚園を勧める先生がいたり、親

たちも「集団に入れれば大きく変化する」というような期待をもっていますが、日本

の保育園・幼稚園の現実は、そんなに甘いものではありません。近未来に、日本の障

害児福祉の考え方が大きく変われば、障害児保育や統合保育という名のもとに、保育

園・幼稚園のような集団の場にも、質的発達を促す場として期待できるようになるか

も知れません。しかし、現状の保育園・幼稚園は、あくまでも集団の場が確保できる

程度として、考えておかなければなりません。もちろん、一生懸命、障害児のことを

考えてくれる保育園・幼稚園が増えてきていることは事実です。しかし、親たちの期

待度と現実には、まだまだギャップがあることを知っておく必要があります。だから、

障害児療育における家庭の役割は、非常に大きいものがあります。専門機関で、

50〜60%身につけた発達課題を、80〜90%に引き上げていく役割が家庭にあ

るのです。 

 保育園・幼稚園は、専門機関や家庭で身につけた能力を発揮させる場です。乳児期

は少数の人々と緊密な関係をもつことで成長・発達していきますが、保育園に入園す

る年齢になる頃には、多くの友だちとの関わり合い、関係の多様化するなかで、子ど

もは伸びていきます。だから障害があっても、集団の場は確保してあげる必要性があ

ります。そのためにも、家庭で、発達課題を80〜90%身につけておれば、集団の

場でも、その能力を充分に発揮でき、集団の場が子どもたちの成長・発達により有効

に作用するようになります。  

 この3つの場が、相互に影響しあえる状況が確保できた子どもの場合、障害が重く

ても、その子の成長・発達には目をみはるものがあります。反対に、この3つの場の

相互関係が、得られない状況の子どもの場合、障害の程度は軽くても、子どもの成長

・発達には大きな変化がみられないことがしばしばあります。





量的発達(よこの発達)を促す場


 家庭は一種のオアシスであるし、リラックスできる場です。ましてや、母親は、子

どもたち(障害がある、ないに関係なく)にとって、安全度の高い安全基地的存在(

基本的信頼感)でなければなりません。特に、乳児期の子どもたちにとって、安定し

た家庭における母子相互作用は、成長・発達の原動力です。その家庭が、最も緊張す

る場であったり、ストレスの場であってはいけません。母親が、鬼的存在になってし

まってはいけないのです。母親が、強制的で猛進的な専門家になってはいけないので

す。専門家の代わりは何人もいますが、母親の代理はだれにもできないのです。

 しかし、現実に、母親が、障害児療育に熱心であればあるぼど、冷静で、客観的な

判断に欠けた専門家に変身してしまう傾向があります。そのような母親は、質的発達

を促すことに捉われてしまい、本来の家庭で、促すべき量的発達に関心を示さなくな

る傾向がみられます。そして、障害児の療育の一環として、家庭が質的発達(たての

発達)を促す場になった時、障害児にとって、家庭は大きな苦痛の場に変身してしま

うのです。

 乳幼児期の子どもにとって、家庭は「お母さんと一緒にいたい、一緒に遊びたい」

という気持ちをかきたてる場でなければなりません。つまり、家庭は質的発達を促す

場ではなく、量的発達を促す場であってほしいのです。





レディメイドの対応よりもオーダーメイドの対応を

 

 最近のマス・メディアの発達によって、また障害児を抱える親たちの意識レベルが

高くなったことがあいまって、障害児をもつ親たちの、障害児に関係する専門的知識

は、非常に高くなってきています。下手をすれば、専門家といわれる人たちよりも、

専門的知識は豊富であることがあります。そのこと自体は、たいへん喜ばしいことで

す。しかし、それらの専門的知識が、適切に障害児への対応に用いられるなら、何も

問題はないのですが、ある一部だけを極端に肥大化し、過大評価してしまったり、反

対に過小評価したりする傾向があります。

 日本の障害児療育の問題は、第一義的に、ある欧米の方法論(感覚統合訓練法、テ

ィーチプログラムなど)があって、その方法論に子ども合わせようとする傾向がある

ことです。例えば、自閉症児といっても、高発達を示す自閉症から、非常に重い自閉

症までさまざざまです。そして、同じ程度の重症度でも、その子その子で、症状は千

差万別です。それなのに、1つの方法論に子どもを当てはめてしまう傾向があります

。それも専門家が、その方法論の理論的背景を充分に理解し、消化して、子どもたち

に適用することはまだ許されますが、親たちが、その方法論のプログラムだけを取り

入れて、子どもたちに強要することはたいへん危険です。

 親たちは、既存の方法論をただ単に取り入れていく、レディメイド的な対応ではな

く、1人1人の子どもの症状・状態に合わせた、オーダーメイド的な対応していかな

ければなりません。特に、家庭は、量的発達を促す場ですから、担当の専門家と自分

の子どものことについて充分に話し合う機会を常にもって、具体的に、どのように関

わっていけばいいのかについて、指導・助言をもらわなければなりません。





横(親同志)のつながりを大切に


 専門機関(外来システム)に通っている親たちにとっては、時間指定で訓練・指導

を受けるために、同じ障害をもった親たちに出会い、ゆっくり子どものことで話し合

う機会はほとんどありません。そのために、母親たちは、「どうして、うちの子はし

ゃべれないのだろう?」、「どうして、自分たちの家庭だけ、こんなに不幸なんだろ

う」、「こんなに重い子どもは、他にいないだろう」などと自分1人で悩んでいるこ

とが多いのです。

 ある時、同じような悩みをもった親たちと知り合いになり、お互いの子どものこと

を話し合えるようになり、自分だけでなく、他にも同じような境遇にある人たちがた

くさんいることがわかり、その親たちが、とても生き生きと生活していることを知る

ことで、悶々と悩んでいたことが、嘘のように晴れ渡ったと、回想してくれる何人も

の母親に出会ってきました。

 母親と専門家という縦の関係での、障害をもった子どもの障害受容は、ある程度可

能であり、それなりの信頼関係も、時間の経過とともに深くなっていきます。その結

果、子どもたちの成長・発達に良い影響を与えることができます。

 そのもう一方で、親同志の横の関係による仲間づくりが、母親の精神状態を安定さ

せ、見通しをもった、子どもへの関わりへと変化させていきます。そのことが、さら

に子どもたちの成長・発達に良い影響を、与えることができるようになります。  

 そして、この仲間づくりの成果が、親の会づくりへと発展していくのです。親の会

の先輩たちは、専門家とは違った立場から、若い母親たちや就学を目の前にして悩ま

れている家族に対して、適切なアドバイスをしてくださいます。親の会のメンバーは、

専門家にはない迫力(実際に障害児を育て上げた自信)をもって、悩める家族に対し

て指導・助言をしてくださいます。   

         

困った時に助けてもらえる人と場所を作っておくこと


 人間が悩むということは、一種の限界にきていると考えられます。1人で悩まない

で、信頼できる人に相談してみると、意外と簡単に問題解決できることがしばしばあ

ります。「なんでこんなことで、悶々と悩んでいたのだろう」と思うことがよくあり

ます。ただし、障害児への関わりについては、だれかれに相談するわけにはいきませ

ん。子どもたちの成長・発達のそれぞれの過程で、子どもたちを担ってくれる専門家

に、いつ何時でも相談にのってもらえる人と場所を常に確保しておく必要があります。

 この詫間キャンプには、保母・指導員などの福祉関係者、看護婦・医師・理学療法

士・作業療法士・言語療法士などの医療関係者、養護学校の先生・大学の先生などの

教育関係者、親の会の人たちなど、障害児問題に、真剣に取り組んでいるさまざまの

領域の専門家が揃っています。このような先生方との出会いを大切にしていただけれ

ば、いつでも、どこででも、悩んでいること、困っていることの相談にのっていただ

けると思います。両親が悩み、苦しんでいたのでは、子どもたちは伸びていきません

。両親が安全度の高い安全基地にならないといけません。そのためには、助けてもら

える人と場所を、確実に作っておくことです。



プラス思考を


 「うちの子どもはこんなこともまだできない」とか、「そんなことやらせたって、

どうせできっこない」などいうことばを、親たちが口にしているのをよく耳にします

。とかく、障害児をもった親たちは、子どもたちの動きを、マイナスにみてしまう傾

向が強いようです。たしかに、大きなマイルストーン(発達指標)で、障害をもった

子どもたちをみると、できないことがとても多いのも事実です。しかし、小さな小さ

なマイルストーン(発達指標)で、子どもたちの動きをみてみると、確実に変化して

いるし、成長・発達しています。

 「できないから、叱る、諦める」というマイナス思考から、「できないから、工夫

する、誉める」というプラス思考に、発想の転換をしていく必要があります。実際、

このような発想の転換をして関わっていくと、「できること」の多いことに驚かされ

るものです。その結果、「叱ること」が減り、「誉めること」が多くなるという、良

循環的な関わりに変化していくものなのです。やはり、人間は「叱られる」より「誉

められる」ほうが、やる気が起こります。特に、障害児療育においては、「7 誉め

て、3 叱れ」といわれていますが、現実の生活場面では「3 誉められ、7 叱ら

れる」というのが現実のようです。これでは、障害児の成長・発達は望めません。「

誉める」ためには、その子を取り巻く大人たちが、常にプラス思考をしていないと、

誉められるものではありません。とにかく、マイナス思考をやめて、プラス思考を日

々の生活のなかに取り入れていきましょう。



おわりに


 障害児と関わりをもつ大人たち(親たちを含む)がやらなければならないことは、

その子がもっている能力を最大限に引き出すことです(能力の顕在化)。そのための

一番重要な役割をもっているのが家庭です。安全度の高い安全基地としての役割を、

家庭が担わなければなりません。家庭がオアシスであり、安らぎの場であれば、障害

児の成長・発達を充分に促すことができると確信しています。そして、障害児療育に

おいて、家庭という土台がしっかりしてこそ、専門機関および保育園・幼稚園との、

緊密な連携が取れ始め、障害児の成長・発達を促すことができるといっても過言では

ないと思います。

 最後に、21世紀に向けて、日本の社会システムが、大きく変貌しなければならな

いところまで来ています。同様に、障害児・者問題も、大きな変革を求められていま

す。これらの状況の変化を、充分に見極めていきながら、近未来の障害児・者の自立

に向けての援助体系を確立していく必要があります。 

 最近、私が、母親たちや父親たちに向かって、言っていることばの1つを挙げてお

きます。



「花より実を取れ」








 
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