公衆衛生からみた胎児診断
香川医科大学人間環境医学講座 衛生・公衆衛生学 福永一郎
はじめに
研修会において、私は公衆衛生の基本知識と胎児診断関連事項について提示して、参加者のディスカッションの参考に供する。前段ではその概要を報告し、後段では胎児診断の集団応用のもつ問題点に絞り若干の私見を述べることとする。
1.公衆衛生における疾病対策について
疾病対策の概念と、リスクの概念について説明する
1) 疾病の自然史と疾病対策の5段階
疾病には自然史があり、自然史の進展には疫学要因が関与する。ある一定の基準を越えるあるいは顕在化した形で疾病が現れることを「発病」と言い、発病と発病前は連続した現象である。このうち、進展させる要因を促進要因、進展を防止する要因を抑制要因とすれば、抑制要因を増やせば疾病の進展は遅らせるあるいはとどめることができるし、促進要因が増えれば疾病は進展することになる。このことを「介入」と言い、促進要因を減じ、抑制要因を増やすことを予防、治療、療育、教育などと称する。
Clark & Leavellは疾病対策を5段階に分け論じている。「発病」前で介入する方法のうち、疾病に関して全体的に抑制的な要因を増加させ、促進的な要因を減少させることを「健康増進」といい、特異的にある要因を除去することができるものはこれを「特異的予防(特殊予防)」という。健康増進の中には、生活習慣の改善や、健康・体力づくりなどがあるが、その他に、健康を増進するための基盤整備、たとえば保健医療専門従事者の養成、施設の整備、予算の獲得、法や制度の整備、情報の収集と提供などが含まれる。「発病」後に介入するもののうち、早期に疾病を発見して早期に治療を行うものが「早期発見・早期治療」である。早期発見の時期を過ぎて、疾病が顕在化した段階で進行を止めたり遅らせたりするものを「重症化防止」といい、医療現場で行われている治療行為の多くがここに含まれる。疾病の進展が停止あるいは緩徐となった段階で、「リハビリテーション」の段階がある、これには医学的リハビリテーションの他に、社会的リハビリテーションを含む。なお、「健康増進」と「特異的予防(特殊予防)」の段階が一次予防、「早期発見・早期治療」と「重症化防止」の段階が二次予防、「リハビリテーション」の段階が三次予防である。
一般には、「予防」の語は「発生防止」と「早期発見・早期治療」に関する介入に用いられることが多いが、Clark & Leavellは疾病対策の概念からは、「予防」は、健康増進から治療、リハビリテーションまでをすべて包括した概念としてとらえられる。
2) リスク
リスク要因とは、集団において、曝露により結果(罹患率)に影響を与える要因であり、一般に負の影響を与える要因を言う。結果(罹患)は単に疾病の発生を言うのではなく、予後の悪化や、疾病発生に影響を与える要因の程度の変化も含まれる。
リスクの大小は、一般に罹患率ないしは罹患確率の比によって示される。すなわち、ある要因(リスク要因)を持った集団と、持たない集団との罹患率の比を相対危険(古典的な「相対危険度」は罹患確率の比であり、これと区別する場合は罹患率の比を罹患率比という)として示す。罹患率の比を近似値あるいは代替しうる指標(オッズ比、ハザード比など)ででも示せない場合は、リスクの量的評価は不可能である。リスク要因を持つ構成員が成す集団をハイリスクグループという。ハイリスクグループとは、一般の集団に比べて「疾病にかかりやすい人たち」と言うことができる。なお、リスクという用語は「危険」と訳すことが多いが、学術領域以外に一般用語として使用されることによって、ハイリスクグループが「(他人にとって)危険な集団」との誤解を招いている場合がある。たとえば、感染症のハイリスクグループとは「病気にうつされやすい人たち」あるいは「(不顕性の病原体を保有している場合に、一般の人と比べて)病気を発症しやすい人たち」であって、「病気をうつしやすい人たち」ではないので注意を要する。
リスクを集団に応用するときは、そのリスクが測定された集団と、質的に同一な集団で行われることが求められる。たとえば人種や性、年齢というのは大きな交絡要因(要因と結果との間をゆがめる因子)であるので、これらの構成が異なる集団に対し、別の集団で比定されたリスクをそのまま応用することは慎重を要する(もちろん、人種や性、年齢そのものがリスク要因となる場合もある)。また、実際に介入(疾病対策)を企画する際には、「罹患数の多くはハイリスク集団ではない集団からの方が多かった」というパラドックスがある場合も多いので、「リスク」のみが対策のよりどころではないことに注意を要する。リスクの影響は、集団での罹患率で測られたものであり、対集団ではなく対個人にリスク要因に基づくアプローチを行う場合(たとえば診療現場)は、そのリスクはあくまで集団の罹患率(ないし罹患確率)を増加させる要因であって、相手(診療現場では患者)個人にとっては、あくまでも確率の増減の問題であることをよく伝えなければならない。この場合、リスクの他に確率の値そのものを十分に伝えることが必須である。たとえば、ある要因がない場合は3000人に1人が罹患する疾病があったとして、ある要因があるとその罹患率(ないし罹患確率)が10倍となる場合、その要因に関して相手に伝える時は、「10倍確率が高い」ということと、「その場合300人に1人の割合で罹患する(300人に299人は疾病にならない)」と言うことの両方を適正に情報提供する必要がある。
リスクを実際に応用するかどうかは、集団に関して、そのリスク要因を除去・抑制するという介入行為によって、期待できる効果によって判断される。リスク要因によってターゲット集団(ハイリスクグループとなる場合が多い)を設定し、介入を行う際には、その介入が倫理的に妥当なものであるか、集団に受け入れられるものか、基盤整備ができているか、容易に実施でき苦痛を伴わない適正な介入手段が開発されているか、介入によって明瞭な効果(疫学的効果、費用効果)があるか、それらの効果を測る指標が開発されているかなどを検討することが必要である。なお、疫学的効果が明らかでなければ、その時点で介入は不適切という結論が得られるので、進んで費用効果を検証する意味はない。
介入効果の検証方法がない場合や、介入の効果が明瞭とはいえない場合、介入を実行するにあたっての損失(経済的、社会的要素を含む)が効果を上回ることが予想される場合は、介入は行われるべきではない。なお、介入効果の評価については、現在ではRCT(randomized controlled trial;無作為比較対照試験。介入疫学の一方法)による検証、あるいは妥当な設計によるcontrolled trial(無作為割付ではない比較対照試験)、cohort study(コホート研究;観察疫学による縦断研究の一方法)によって、複数の追試による検証がなされていることが望ましいとされている。
2.公衆衛生活動とは
Winslow(1920)によれば「公衆衛生とは、コミュニティの組織的な努力によって疾病を予防し、寿命を延長し、身体的・精神的健康を増進する科学と技術(活動)である。その目的は、環境の調整、伝染病の予防、個人の健康についての教育、疾病の早期発見と予防のための医療と看護の供給、すべての人に健康を維持するために十分な生活水準を保障する社会機構の成立である。その努力の結果として、すべての人々が健康と長寿という生まれながらもっている権利を実現することができる」とあり、WHO(1948)によれば、健康の定義とその確保については「身体的、精神的、社会的にwell-beingな状態であること。到達できる最高水準の健康を享受することはすべての人類の保有する権利である。政府は国民の健康に対して責任を有し、適切な医学的及び社会的施策によってのみ果たしうる」とされている。近年、この実践戦略が「ヘルスプロモーション(WHO、1986)」により具体的に提示された。ヘルスプロモーションとは「人々が自らの健康をコントロールし、改善することができるようにするプロセスで 1)個人が健康を増進する能力を備える 2)個人を取り巻く環境を健康に資するように変えること」とある。
このように、公衆衛生は「みんなの健康を守り増進する科学と活動」であるが、その活動の主体は、健康の享受者である住民(集団の構成員)自らであり、その活動プロセスを推進するために、構成員(集団)への能力付与(健康教育)や、環境整備(人的・社会資源の整備、予算の獲得、法や制度の整備、必要なサービスの提供、活動を支持するコミュニティの醸成など)を行うのが、行政並びに専門家集団の役割であるとする点が特徴的である。なお、文中、健康の享受としているが、近年では、目的は「QOLの向上」としてとらえられることが多い。
この中で、環境整備の一つとして「法や制度の整備」「必要なサービスの提供」があるが、これらは先程述べた介入行為を集団に対して行うことでもある。たとえば、健診の制度化や受診勧奨、健康教育(衛生教育)・健康相談(カウンセリングを含む)の導入はこれにあたる。また、医療も地域単位などの大きな規模でみれば集団への介入行為であり、医療システムのあり方、高度先進医療や新しい治療法の導入などは公衆衛生的課題となる。たとえば、遺伝相談をとってみると、遺伝相談を通じた個へのアプローチは個人レベルでは臨床的課題であるが、遺伝相談のあり方や社会での位置づけはむしろ公衆衛生的課題である。従って、地域での遺伝相談が、公衆衛生的にどう位置づけられるかが地域の社会的資源としては問題となる。一般に、個々の臨床行為は、社会的に見れば単なる個人クリニックのサービス(私人の行為)以上の公衆衛生的位置づけがあり、それは医師法をはじめ、医事関連法規に明記されている。なお、健康に対して、集団(仕組み、制度、組織活動などを含む)を通じてのアプローチが公衆衛生であり、個を通じてのアプローチが臨床であるという見方をする場合もある。
公衆衛生活動の主体は、健康の享受者である住民(集団の構成員)自らであることから、障害領域に関連する公衆衛生活動については、この対象である障害当事者が、主体的に活動することが求められる。障害に関する公衆衛生対策は、当事者の意見を反映させ、かつ当事者自身が主体的役割を担えるように、公共サービスや専門家集団、一般住民がそれをサポートする形となることが求められる。
住民が健康に対して主体的に行動するためには、公及び集団の組織的努力によって、健康に関する適正な情報提供と、それに対する個人の自己決定を確保し、それによった行動をひきおこすことが求められる。ただし重大な注意事項として、このような情報提供と自己決定を推進するためには、単に、提供内容を一方的に説明し、「どうするか決めよ」と提示するだけでは目的を達しない。公的な責任において、自己決定の能力を付与すること、自己決定を支持する受容的な環境を整備した上で情報提供を行わなければ混乱を招くことがあるので、情報提供にあたっては、対象集団の構成員がすでにその情報を受け入れることができるだけの基盤整備がなされていることが前提となる。
3.スクリーニングについて
スクリーニングという用語は混乱がみられる。公衆衛生領域での「スクリーニング」は、ふつう疾病あるいは疾病を引き起こしうる要因を集団的介入手段によってふるい分けることを指す。臨床領域では単なる対個人の(集団的介入を意図しない)一次検査もスクリーニングとよぶが、公衆衛生では「スクリーニング」の用語は、一般にマス・スクリーニングあるいは特定のリスク要因を持つ集団を選択し実施するスクリーニングの場合に用いられる。
スクリーニングは「1.公衆衛生における疾病対策について」で述べた介入手段の一つであり、スクリーニングの指針としては、Wilson& Jungerの指針(1968)が事実上スタンダードとなっている(表1)。一方、スクリーニングの効果を検証するものとして、従来の検査の設計精度のほか(表2)、スクリーニングの効果評価の基準と勧告の分類として、代表的なものに米国の予防医学特別委員会の基準がある(表3)。また、スクリーニングの実施にあたっては倫理性が問われるのは当然である。表2のスクリーニング精度に関しては、スクリーニング検査の危険と利益について、真陽性、偽陽性、偽陰性、真陰性の4通りの結果でどのような危険と利益があるかが示されている(表4、久繁ら)。表2により、各結果に該当する割合がどの程度か判明するが、表4によってそのスクリーニングを実施した場合に、どのような社会的な影響(スクリーニング実施から確定診断時までの短い間に)があるかを推し量ることが可能である。
これらの種々の評価を経て、スクリーニングの導入が適当かどうかが検討される必要がある。本邦を始め、諸外国でも、従来、スクリーニングの導入に際してこれらの検討があまり行われず、効果の評価についてもあいまいとされてきた歴史があり、反省が求められている。たとえば、日本では、最近、がん検診の効果について上記観点から討議がなされている。今後新たなスクリーニングの導入を考えるときは、ことに表2及び表3、表4のような効果評価の検証を行い、結果を明示して広く議論することが重要となろう。
4.胎児診断と予防に関する問題点(私論)
以下に述べることは、現時点では公衆衛生の学術領域で特に普遍的に支持されていることではなく、あくまでも私論であることをお断りする。
1) 出生前診断における検査精度などについて
母体血清マーカ検査に関して言及すれば、集団単位でみれば、確かに障害の有病率と障害「児」の発生率を低下(障害胎児の出生抑制という手段により)させることは理論上可能である。しかし、この検査の敏感度は60%程度、陽性反応適中率は2〜3%とする報告が多く(佐藤孝道)、検査精度の敏感度が60%であれば、障害胎児の10胎に4胎は障害が見逃されること、陽性反応適中率が10%に満たなければ、真陽性の十倍以上の偽陽性が生ずることになる。従って、この検査の集団応用を論じる際には、検査精度上の限界について、十分に検討する必要があると思われる。なお、実際の検査実施時に、被検妊婦に対してこれらの検査の限界(偽陽性、偽陰性)に関する情報が十分に提供されているかどうかは不明である。また、この検査の主たる対象であるダウン症の出現頻度は出生500に対し1以下とされており、障害児の中で占める割合は決して高くはない。たとえば、K県では、特殊教育(特殊学校、特殊学級)の対象となった知的障害児が小中学校学齢の児に占める割合は1%程度となり、それ以外に普通学級に在籍している知的障害児も少なからず存在していることなどを勘案すれば、これらの知的障害児の中にダウン症児が占める割合は少ない。この検査が集団応用されても「障害の有病率低下」に寄与する割合は少ないと予測されることや、ダウン症児者の生命予後や社会的な予後は良好で出生後のQOLもかなり確保可能であるといった点が、スクリーニング導入のための検討に組み入れられているかどうかは明瞭ではない。
母体血清マーカー検査は、前述した「スクリーニング」の指針との整合、検査の設計精度、スクリーニングの効果評価の基準と勧告の分類との整合、倫理性、スクリーニング検査の危険と利益について、一部の研究を除いて本邦で十分に論じられている印象は受けないが、集団応用の可能性がある診療行為として位置づけようとする場合には、これらの検査精度、介入結果の評価を明瞭に示し、科学的妥当性を持って十分に論じられる必要があると私は考える。
2) 胎児診断の社会的応用とその位置づけについて
胎児診断は、胎児への「介入」となるので、胎児診断の本来の対象は、多くの場合妊婦ではなく胎児そのものである。胎児診断により、出生前の胎児治療、あるいは出生後の治療や療育基盤の整備などが、胎児診断を行わない場合に比べて早期に対応が可能である場合、「胎児を対象とした疾病対策」の行為と言うことになる。しかし、胎児診断によって障害が発見された場合、妊娠継続を中絶させるためにとられる医学的手段の効果は「障害児の発生防止」であり、疾病対策の対象である胎児個体そのものは消滅するので、胎児にとっては「疾病を増悪させる要因を除去あるいは軽減し、疾病の増悪を阻害する要因を増加させる手段」にはなりえない。胎児の障害と関連して人工妊娠中絶という手段をとる場合、妊娠の継続が母体に重篤な医学的問題をひき起こすならば、妊婦にとっての「疾病対策」の手段となる。しかし多くは、障害児の出生による経済的負担などを背景とした個別の社会的事情や、妊婦個人の自発意思(意思決定のためには十分なカウンセリング・・意思決定のための能力付与・・が必要であるが)にそって、人工妊娠中絶を選択肢に含めて行われる医学的手段と位置づけられるものであると私は考える。
遺伝性疾患の有病率低下と、遺伝性疾患を持つ児の出生を低下させる手段としての人工妊娠中絶が前提となる種々の介入手段について、これが「予防」としてどう位置づけられるかについては、現在は必ずしも一定の見解は存在しないように思われる。合衆国のヘルシーピープル2000のモデルスタンダーズ第3版において、第2版まで設定されていた「遺伝病予防」の基本目標が削除されたことの説明として、公衆衛生学(健康政策科学)者Butteryは、「(遺伝病の)予防という発想は政治的問題をはらんでいるからである」と記述している(Buttery.公衆衛生のための行政ハンドブック)。本邦の公衆衛生領域で、健康政策面で障害の予防が語られる場合、外傷の発生防止、環境面のアプローチ(例:公害、環境ホルモンなど)の他、胎児の障害そのものを発生させない方策(たとえば、禁煙、電離放射線被曝を避ける、特定の薬剤の摂取忌避など)についてか、治療可能な疾病を新生児期に発見すると言うことについては語られるが、人工妊娠中絶という手段により障害「児」の発生防止(障害の有病率と、障害「児」の発生率は低下するが、障害「児」の疾病対策には寄与しない)を行うことについてはあまり言及されておらず、遺伝性疾患をもつ児の出生を低下させる手段としての人工妊娠中絶が「予防」として積極的に位置づけられているという印象は感じない。一方、予防医学者においては、人工妊娠中絶を一種の予防手段ととらえているという印象がある。合衆国の予防医学特別委員会があらわした「予防医療実践ガイドライン(米国予防医療研究班報告)」によれば、35歳以上妊婦の羊水診断を予防手段と位置づけており(ちなみに全妊婦への母体血清マーカ検査は行われるべきではないとしているが、これはαFPのみの検査についてである)、ダウン症における出生前診断の勧奨に関しては、予防医学者Rose(英国、故人)は、その著書(予防医学のストラテジー)の中で「予防」としてとらえ、この手段は社会にとっての予防であるが胎児にとっては抑制であると説明し、社会的要請であることを示している。また、同書の別の箇所で、35歳以上妊婦の羊水診断については、予防手段であるとしている。
社会的要請ないしは社会防衛が予防の一種であるかどうかについては、このような状況である。ただし、「人工妊娠中絶を選択肢に含む出生前診断」に限って言えば、前述した疾病対策の5段階にのっとった予防的介入の性格とは異なるので、出生前診断が集団的に行われるのであれば、社会的要請の妥当性と影響力に関して慎重な検討が行われるべきであると私は考えている。これは私見であるが、多くの妊婦が人工妊娠中絶の選択をするとき、「胎児は妊婦の付属物としてではなく別個の生命体としてとらえてはいるが、妊婦側のやむを得ない理由(たとえば養育に自信がない、経済的事情が許さないなど)により出生をあきらめ人工妊娠中絶に至る」という場合が多いのではないかと思われる。本邦では、刑法上胎児は人とは認められていないが(ただし、堕胎は禁止されている)、民法上は、胎児の人権が特別な場合については認められている。母体保護法上は、出生しても生命を維持できない週数の胎児に関して人工妊娠中絶を認めているから、本邦では、母体外で生存可能かどうかという便宜上の分岐点が設定され、論議の前提とする場合も多いようであるが、これについても種々の見解がある。
現在の日本では、治療可能な先天性代謝疾患に限って、新生児のマススクリーニングが制度化されているが、それは当該児の疾病の予防と健康の確保、QOLの向上を目的としたものであって、胎児の疾病や障害を理由とした人工妊娠中絶は認められておらず、人工妊娠中絶の適応はあくまでも経済的理由などの母体保護によるものとされている。胎児に障害があることを発見されて人工妊娠中絶という手段をとった場合、胎児に障害があるということを一義として人工妊娠中絶を容認することと、出生後の養育が困難である(その理由が胎児の障害であるか否かを問わず)という理由から人工妊娠中絶のやむなきに至ると言うことは、結果は同じに見えても、質的には大きく異なるものであると思われる。
「疾患をもつ胎児を人工妊娠中絶させることが公益になる」という思想(障害児の出生が公益に反するという思想。一般には優生思想と解されている)、あるいは「非常な負担を強いる障害児の養育を求める人はいない」という固定観念から派生する周囲環境が存在している場合は、そのコミュニティ内で妊娠したすべての女性に対して、何らかの社会的要請が作用しているものとしてとらえることが必要だと私は考える。この場合、障害胎児の妊娠継続については、無関心あるいは潜在的な拒否的環境が少なからず存在していることが多いので、妊婦の判断は、周辺環境の影響を大きく受けざるを得ない。このような環境下で出生前診断の受検勧奨が行われたならば、適正なカウンセリング体制を確保し、拒否的環境の改善を行わなければ、多くの妊婦は障害児を養育することには無関心(「自分とは関係がないことがらである」という根拠のない確信を含む)か、あるいはネガティブイメージな情報だけをもって受検することになり、適正な選択に支障を生ずる可能性もある。現状では、適切なカウンセリング体制を含め、妊婦が適正に自己決定するための周辺環境は、未だ整備されていないように思われるので、上記の社会的要請の妥当性は、出生前診断を取り巻く公衆衛生上の環境要因として、検討の対象となると考える。なお、前者(障害児の出生が公益に反するという思想)に関しては、日本では優生保護法が長く存在していたが、数年前に廃止されるに至ったことに十分留意する必要があると私は考えている。
おわりに
必ずしも公衆衛生的に論じられる性格のものではないが、現実の社会は現実に存在する人々によって構成されている。従って、科学技術の応用も、現実の社会に生きる人々の意思によってなされる部分があり、それは現実社会が理想郷ではない限り認められる部分であろうが、現実の社会に生きる人々の間に理想や目標の共有化がなされて、その延長上において初めて、その実現手段としての科学技術が社会に提供される選択肢の一つとして位置づけられるものだと思われる。現実社会で描かれるべき理想や目標が人によって大きく食い違うのであれば、十分に討議を重ねる必要がある。その結果、理想や目標の共有化ができない場合は、その実現手段としての科学技術は、自由に選択可能な手段として一般に提供されるのではなく、用途が限定された段階にとどまり使用されるのが原則と思う。公衆衛生の概念からみれば、この理想と目標の共有化の過程では、その対象となる当事者の主体性と自主性がもっとも尊重されるべきであり、安易に多数決の論理を用いることは妥当ではない。出生前診断の当事者性から言えば、真の対象である胎児は意思を表現できないので、胎児の当事者性は存立せず、その代わりとしてこの部分が生命倫理上の討議に委ねられる。障害児者当事者は、出生前診断に関し、当事者として十分に意見を聴取され、尊重されるべきであり、一般の妊婦及びその配偶者も検査を「受ける」対象として主体的討議に参加し、さまざまな考え方を尊重しあいながら、当事者、各界の専門家を交えたオープンな討議が望まれよう。
注:文中、「介入」「リスク」と言う学術用語を用いているが、一般住民に対して説明を行うときは、受け手によってことばの取り方がいろいろあるので、無用の混乱を避けるためには他の用語で言い換える方がよい。また、「スクリーニング」の用語も、使用領域によって概念が全く異なっているので、学際的に用いるには明確に定義して用い、一般住民に対しては使用を避けた方がよい。
参考文献(ABC順)
米国予防医療研究班:予防医療実践ガイドライン(訳書)、1989
C.M.G.Buttery:公衆衛生のための行政ハンドブック(訳書)、1991
G.Rose:予防医学のストラテジー(訳書)
久繁哲徳他:スクリーニングプログラム導入に求められる条件の検討、平成8年度厚生省 心身障害研究「効果的なマススクリーニングの施策に関する研究」報告書、1998
實成文彦、福永一郎、武田則昭、他:地域保健医療計画における母子の包括的保健医療福 祉の確立を指向した保健指標・評価基準の設定について−その1:保健医療計画の立案 と評価の視点、四国公衛誌、38:208-217、1993.
實成文彦:保健計画、緒方正名編、現代公衆 衛生学、朝倉書店、16-18、1985
緒方正名編:公衆衛生学入門、朝倉書店、1982
佐藤孝道編:染色体異常の出生前診断と母体血清マーカー試験、新興医学出版社、1996
World Health Organization:Ottawa charter for health promotion.Can J Public Health 、77:
425-430、1986.
表1 スクリーニングの指針(Wilson& Junger, 1968)
1)疾病が重要な問題である
2)確立した治療法がある
3)検査と治療が容易に利用できる
4)目的とする疾病に無症状の潜伏期間がある
5)適切な検査法がある
6)検査が集団に対して受容される
7)自然史が解明されている
8)治療対象の政策合意がある
9)疾患把握にかかる費用に妥当性がある
10)疾患把握が継続的に可能である
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表2 集団に対して行う検査の精度
集団に対して行う検査の精度を規定するには、ふつう特異度と敏感度が用いられる。
検査精度を明らかにするには、どの程度見落としがある、どの程度取り込みすぎがあるということを明瞭に示すことが必要である。これには2つの指標がある。
敏感度:疾病がある人のうち、スクリーニングで陽性とされる人の割合
特異度:疾病がない人のうち、スクリーニングで陰性とされる人の割合
敏感度を計算すると、疾病があるにもかかわらず、スクリーニングで陰性とされ拾い上げられない割合がわかるので、見逃しのレベルが明らかとなる。特異度を計算すると、疾病がないにもかかわらず、スクリーニングで陽性とされて取り込まれてしまう割合がわかるので、取り込みすぎのレベルが明らかとなる。
なお、検査で陽性だった人のうち実際に疾病のあった人の割合を陽性反応適中率というが、これは有病率に左右されるので、検査精度を測るにあたっては意味を持たない。むしろ、検査を集団に実施した際にどの程度の無疾病者が異常と誤判定されるかを測る指標であり(ラベリング効果)、検査を集団に企画する時の現実的な参考指標となる。なお、正確な有病率がわかっていれば、敏感度と陽性反応的中率から特異度を理論的に算出することは可能であるが、これはあくまでも実測数ではないので、参考値となる。
母体血清マーカーテストを例に取り、説明すると以下のようになる。
羊水検査異常 羊水検査正常
テスト陽性 A C
陰性 B D
特異度=D/C+D(羊水検査で正常な胎児が、テストでも陰性とされる割合)
敏感度=A/A+B(羊水検査で異常な胎児が、テストでも陽性とされる割合)
陽性反応適中率=A/A+C(テストで陽性な胎児のうち、羊水検査でも異常である
割合)
なお、羊水検査にも精度の限界があるので、本当の確定診断は、全出生児の対象疾患の有無の診断と、全流産児及び死産児の死胎検案あるいは病理解剖及び染色体検査等によって同定されなければわからない。
表3 スクリーニングの効果評価の基準と勧告の分類(米国予防医学特別委員会, 1988)
介入の効果
T 適切に設計された無作為比較対照試験(RCT)による証拠が少なくとも一つ以上ある
U−1 優れた設計の無作為割付ではない比較対照試験(CT)による根拠(複数)
−2 優れた設計のコホート研究、患者−対照研究による根拠(複数)
−3 介入の有無を問わない多様な時系列研究による根拠
V 権威者の意見(臨床経験、記述研究、専門委員会の報告)
勧告の分類
A.定期検診(スクリーニング)の実施を特に推薦すべき条件を満たすすぐれた根拠がある。
B.定期検診(スクリーニング)の実施を特に推薦すべき条件を満たす正当な根拠がある。
C.定期検診(スクリーニング)の実施を特に推薦すべき条件を満たす根拠が乏しい。ただし、 他の根拠から推薦する。
D.定期検診(スクリーニング)の実施を除外すべき条件を満たす正当な根拠がある。
E.定期検診(スクリーニング)の実施を除外すべき条件を満たすすぐれた根拠がある。
表4 スクリーニング検査と危険・利益(久繁)
A 真陽性
危険 利益
先行時間の偏り 早期治療
不安 疾病役割
烙印 症状の理解
治療の害
B 偽陽性
危険 利益
不必要な不安・烙印 不健康な生活習慣の
不必要な検査・治療 カウンセリング*
疑惑の継続
C 偽陰性
危険 利益
誤った安心 無効治療の回避
不健康な生活様式の正当化*
治療の遷延
不利益の増加
D 真陰性
危険 利益
待機中の不安 安心
不健康な生活様式の正当化*
* 染色体異常の出生前診断の場合はあまり該当しない