< ダウン症ときこえの問題 >
「ダウン症ときこえの問題」
引用転載フリーですが,引用・転載後はJINNTAまでご連絡くださいね。
○ 聞こえるための仕組みとその障害
きこえの情報は,神経を伝わって大脳に行き,そこからことばの内容を判断し
たり,実際に行動を起こしたりする経路があります。たとえば,音を聞かせると
ふりむくというのは,耳で音が電気信号に変えられ,それが大脳まで行って,そ
こから別の大脳の部分に情報が伝わり,内容を解釈して,そこから同じ大脳の体
を動かす部分に命令が行き,筋肉を動かして,振り向くという反応が起こるわけ
です。聴力検査というのは,このように,音の情報が大脳まで行って,そこから
からだの反応が現れるというものを計測しています。
たとえば,普通にやる聴力検査というのは,音が聞こえたらスイッチを押すわ
けですが,これは,音が,鼓膜で振動し,中耳と言うところで振動が大きくされ,
今度は内耳と言うところに振動が伝えられ,内耳の中(リンパ液という水に満た
されています)で水の波に変えられて,その波が内耳の音を感じる細胞を刺激し,
その細胞が電気信号を作ります。その電気信号が,神経を通って,中継点まで行
き,中継点では,次の神経へ化学物質の形で情報を受け渡し,そういうことを何
度か繰り返して大脳まで伝わり,音として認識します。そこから,音として認識
したらスイッチを押すという動作を大脳の中で処理して,大脳の指を動かすこと
を司っている部分に伝えられて,そこから神経を通じて指を動かしてはじめて,
音が聞こえたらスイッチを押すということが出来るわけです。以上のどこかに問
題があれば,検査に異常が出るわけです。
たとえば,耳の穴に耳垢がぎっしり詰まっていれば,音が伝わりにくくなりま
す。また,中耳というところに糊のような液がたまり,鼓膜が奥に引っ張られた
りすれば,鼓膜が十分に振動しないため,音が十分に伝わらなくなります。これ
が滲出性中耳炎という病気です。また,内耳の中で音の刺激を感じるための細胞
がやられていたら,音を感じることが十分には出来なくなります。これが内耳性
の難聴です。内耳性の難聴の場合は,単に音が感じられないばかりではなく,ゆ
がんで感じたりします。
神経や,脳幹という部分がやられていれば,電気信号が途中でとぎれたりしま
す。これが「後迷路性難聴(迷路とは内耳のこと)」といわれるものです。音を
認識する大脳の部分がやられてしまえば,音は聞こえるけどどんな音が入ってき
ているのか,たとえばその音が「あ」なのか「い」なのかわからない,判断でき
ないと言う「皮質性難聴(皮質とは大脳の細胞が集まっている部分のこと)」と
いう状態になってしまいます。音はわかっても,別のことばを認識する大脳の部
分がやられていれば,ことばとして認識できないことになり,これは難聴とは言
いませんが,聴覚障害の一種と言うことになります。
小さなこどもの場合は,「聞こえたらスイッチを押す」という処理が十分に出
来ないので,たとえば,音が聞こえているときにボタンを押せば,絵が見えるか
ら楽しい(音がいくら押しても絵は見えない)というような検査(こういう検査
をピープショウ検査といいます)にしておいて,何度か練習して,ボタン押しを
するかどうかどうかでどれくらい聞こえているかを判断する検査をします。他に
も,スピーカーから音が出ると電気がついてぬいぐるみが見えるから,音を出し
てそれを見させる(CORという検査),などの検査があります。
○ きこえの信号が脳に伝わる時間がかかります
きこえの問題があると,ことばの発達(ことばが出るという問題の他に,こと
ばの理解という問題がある)に影響があるので,できるだけ早く見つけて対処し
た方がよいのですが,ダウン症の場合は,あかちゃん(2歳くらいまで)の時は
次のような問題があります。
ABR(聴性脳幹反応検査)という,検査があります。これは,眠っている間
に音を聞かせて,頭に電極を当てて脳幹という部分の反応(正確には脳波ではな
いが,俗に脳波を測る聴力検査などともいう)を測るものです。
これは,音が内耳と言うところで電気信号に変えられ,それが神経を通って大
脳に行く途中の経由地の反応を調べているものです。音が,いろいろな周波数の
混じった複雑な波形であり,従って周波数別に測る場合に注意がいり,また,実
際に「音が聞こえているかどうか」まではわからず,測定技術の点でも軽度から
中等度の難聴はちょっと見つけにくいのですが,「大きな音」が聞こえているか
どうかまでは,ごく大まかに判断できます。しかし,ダウン症児の場合は,この
検査を受けるときは要注意です。
きこえの電気信号が,脳に伝わるためには,神経のなかを電気が伝わるわけで
す。きこえの神経は,「髄鞘(ずいしょう:油の膜です)」というものが周りを
覆っています。これが電気の伝わるスピードを,まるで新幹線のぞみ号のように,
ものすごく早くする役割を持っています。
しかし,これは,一般には生後すぐには髄鞘が出来ていません。ですので,生
まれてしばらくは電気はトロッコなみにゆっくりと伝わっていきます。生後半年
くらいで新幹線並みになるのですが,ダウン症の場合はこれが2年くらいかかり
ます。ダウン症の難聴は治るなどと言う言い方がされますが,これはそういうこ
とです(難聴が治るのではなくて,きちんと聞こえているのが検査ではわからな
いだけです)。
ABRの検査は,電気の伝わるスピードが新幹線並みであることを前提に検査
されています。従って,音の伝わるスピードがトロッコ並みの2歳未満では,A
BRという検査では,聞こえていたとしても反応が出ない場合が多く,この検査
では難聴はわからないと言うことになります。
これは他の検査でも言えることで,反応が遅く出たり,出にくかったりします
ので,ダウン症児の難聴の判断は,いろんな検査(一般にはCOR検査をします)
の組み合わせと,自宅での様子の問診や,病院での行動の観察で,総合的に判断
されるのが普通です。2歳を過ぎますと,検査が十分できるようになってきます。
もっとも,ダウン症児の難聴は,一般の難聴の頻度よりは10倍以上多いと言わ
れています(珍しくはないとされています)ので,本当の難聴である場合もある
のです。難聴の疑いを指摘されたら,そのまま様子を見ないで,必要な治療(補
聴器を含め)を受けて下さい。
○ 中等度難聴の判断は難しい
実は,「物音に反応するから難聴はない」といってしまえるほど,難聴とは診
断がやさしい病気ではありません。あかちゃんの時は,乳児健診で,鈴の音や,
太鼓の音,舌打ちの音などで検査をしますが,これはかなり大きな音なので,直
ちに補聴器を使った療育に入る必要がある高度の難聴だけが見つかります。
中等度の難聴では,これらの音には反応します。また,会話でも,お母さんと
向かい合ってやりとりが出来ているようにみえ,一見,話が出来ているように感
じます(実際は,理解できなくて相づちを打っているだけでも,話が出来ると錯
覚するものです)。むしろ,中等度難聴の影響は,ことばをはじめとする発達の
遅れとして現れてきますので,発達の遅れが合併している場合に,「遅れのせい
だ」と短絡的に判断すると,難聴を見つける機会を失ってしまいます。このよう
に発達の遅れがある場合は,特に,難聴は見つかりにくいもので,しかも見逃す
と療育の効果が非常に悪くなるものです。つぎに述べる滲出性中耳炎による難聴
も,発達に影響を及ぼしますので,一度といわず,きちんと定期的に聴力を診て
もらうことが重要です。
香川丸亀養護学校の野田らは,知的障害養護学校中学部・高等部在籍児116児
の聴力検査を行い,5児の難聴を発見して頻度は5.9%と報告しておりますが,そ
のうち3児はこれまでの療育・教育を受ける中で,十数年も見逃されていたもの
です。3例とも,適切な聴覚管理をしていれば,幼児期に発見可能であったと考
えられますが,新たに聴覚管理を行うことによって,問題行動が消失するなど,
効果が現れてきていると報告されています。
○ ダウン症幼児の7割にある滲出性中耳炎に注意
−−耳鼻咽喉科のかかりつけ医を持ちましょう−−
幼児期によく見られる病気に,滲出性中耳炎があります。滲出性中耳炎は,中
耳と言うところに液がたまり(滲出液という。浸出性中耳炎と書くこともありま
すが,「滲出液」が出る病気なので「滲出」の方が正しい表現です),また,中
耳の換気が出来ないため空気が薄くなって大気圧で鼓膜が外から圧されて鼓膜が
十分にふるえなくなる病気です。この液は,最初はさらさらとしていますが,状
態が悪いと,中耳の粘膜に「杯細胞」というねばい液を出す細胞が増えるため,
次第に糊のようになってきて,40〜50デシベル程度の難聴を起こします。
これは,普通の声が音として聞こえていることはわかるが,細かい部分がわか
らないと言う(音がこもって聞こえると考えるとわかりやすいでしょう。体験す
るには,耳栓をしてみてください)程度の難聴ですが,普通の物音には反応する
ので「難聴はなさそうだ」と見逃しやすいものです。しかし,ことばの発達段階
でこの中耳炎があると,ことばの細かいところがわからないため,軽い難聴だと
発音がおかしくなり,少し進むと,1対1の話はまだしも,集団での会話につい
てゆけなくなったり,ことばの発達が遅れたりします。一般に,大人の場合です
と,会話内容が50%理解できれば,あとは目とか雰囲気とか話の流れから十分
ついてゆけるとされていますが,ことばの発達途上の場合は,それでは十分には
理解できないのです。
滲出性中耳炎は,鼻の奥(ノドの上)から耳管という管を通って中耳にあがっ
てきた「死んだ菌」の毒素が,粘膜を傷害し,それに,中耳と言うところに鼻の
奥から空気を送り(換気),また,中耳でたまった液を鼻の奥の方に捨ててくれ
る「耳管」という管が,十分に役割を果たしてないことが上乗せされて起こると
言われています。
一般には,急性中耳炎を中途半端に治した場合,鼻や扁桃の病気がある場合,
気管支炎などを繰り返している場合などは特にかかりやすいとされています。
この滲出性中耳炎は,三歳児の10%にみられるポピュラーな疾患ですが,ダ
ウン症幼児ではなんと7割近くに見られるとされており,重要な病気です。
ダウン症に滲出性中耳炎が多いわけとしては次があげられます。
・ 耳管という管の粘膜が弱いため,細菌の感染や細菌毒素に十分に対抗できな
い。
・ 呼吸器の粘膜が弱いため,鼻の奥とかノドに,ばい菌が住み着いている。
・ 顔の骨の形が,耳や鼻の炎症を起こしやすい形になっている。
・ ダウン症の場合は,全体的に筋肉の緊張が低いのですが,耳管を開いたり閉
じたりしている筋肉(口蓋帆帳筋という)が弱くて,十分に働かない。
7歳くらいをこえますと,上記の鼻やノドの病気,耳管の問題や,筋肉の問題
などが次第に改善するので,治癒してゆく傾向にありますが,この時期までに中
耳の中に悪い変化を起こすと,中耳がそれ以上発育せず,一生,後遺症(癒着性
中耳炎,慢性化膿性中耳炎,真珠腫性中耳炎,これらによる難聴)で苦しむこと
になります。また,滲出性中耳炎は治療しなければ難聴を起こす場合が多く,従
って,大きくなれば治るからといって,放置することは厳禁です。
治療は,病気を悪くするもとは鼻の奥やノドの環境にあるので,鼻やノドの治
療をして,ばい菌を減らし,鼻の奥の腫れをとって,耳管からの換気が出来るよ
うにします。耳管からの換気が十分に出来るようになると,中耳の粘膜が治って
ゆきます。お薬は,抗生物質や抗アレルギー剤などを使います。
難聴を来しているような場合は,耳管からの換気が期待できない場合が多いの
で,鼓膜切開をして直接鼓膜の外から空気を入れて,中耳の粘膜を治す治療をし
ます。鼓膜切開の孔は2週間ぐらいで閉じますので,その間に粘膜がきれいにな
ってくれれば効果があります。
鼻やノドの治療や,お薬でもよくならず,鼓膜切開をしても鼓膜の孔が閉じた
らすぐ悪くなってしまうような場合は,チューブ留置術というのをすることがあ
ります。これは鼓膜に穴を開けて小さな換気チューブを挟み込むもので,しばら
くの間(数カ月〜1年くらい),換気をして,中耳の粘膜をきれいにすることを
目的とするものです。また,鼻の奥やノドの状態が悪いようであれば,扁桃とか
アデノイドをとる手術をすることがあります。
現実問題としては,ダウン症に滲出性中耳炎が合併しますと,耳管という管の
働きが弱く,粘膜も弱いので,治療は長引く可能性が高く,学童期まで及ぶ場合
が多いと思われます。
治療が十分でなく,難聴の状態が続くと,発達にかなり影響を及ぼします。調
子の悪いときだけ耳鼻咽喉科へかかるのではなく,耳を定期的に管理してもらい,
問題があれば早めに積極的に治療した方がよいようです。たとえば,鼓膜切開を
何度も繰り返してもうまく治らない場合などで,チューブ留置術を勧められる場
合があります。この場合は,全身麻酔での手術になりますが,手術を受けること
は前向きに検討した方がよいと思われます。というのは,積極的に治療しないと,
難聴を起こした状態を放置することにもなり,発達に差し支えることと,下手を
すると後遺症を残す場合があるからです。現在では,ダウン症を始め,発達に障
害のあるお子さんの療育に当たっては,この滲出性中耳炎のように,(根気は必
要だが)克服できるはずの病気や障害は,出来るだけ改善し,極力,避けられる
はずの二次的な障害を起こさないことが重要と考えるからです。
(JINNTA/福永一郎)