キャンプの歴史  −20回を振り返って−



  香川県身体障害者総合リハビリテーションセンター

            言語療法士   笠井新一郎

        (現 九州保健福祉大学教授)




1 はじめに


 戦後50年の今年、新聞、テレビなどのマスコミは一斉に特別番組を組んで、

さまざまな角度から振り返る試みがなされてきています。「歴史」として、日本

の過去の歩みを客観的に見つめ直すことはとても重要であり、意義深いもので

す。また、次の日本を背負っていく若い世代の人たちに対して、良きにつけ悪し

きにつけ、過去の事実を伝承することは重要です。すべての日本人が戦後50年

を振り返り、それらの事実を踏まえて、新しい時代の21世紀の日本のあり方を

模索していくことが必要です。

 同様に、20回目のキャンプを終えた「詫間キャンプ」も、キャンプの設立趣

旨、キャンプの目的、初期から関わってきた人たちの苦労などについて、客観的

に「キャンプの歴史」について、誰かが語り伝えておく必要があります。そし

て、「キャンプの歴史」を踏まえて、今後のキャンプのあり方について模索して

いかなれけばならない時期に来ていると思います。そこで、開催前から20回ま

で関わってきた(第7回だけ、不参加)私が不確かな記憶をひもときながら、下

記に述べていきたいと思います。



2 開催までの経緯


 昭和49年10月頃、「四国へ行くのは10年早いよ! 不毛の地だよ」と柴

田先生(国立身体障害者リハビリテーションセンター学院長)に香川県に就職が

決まったときにいわれましたが、そのことばがどのようなことを意味するのか当

時の私にはわからないまま、昭和50年4月、香川県立ひかり整肢学園に就職し

ました。4月 5日には、朝日新聞香川版の一面に写真入りで「四国で初めての

本格的言語療法士着任」という記事が掲載され、その後、NHKのテレビ、ラジ

オにもひっぱりだされ、一時的に芸能人のような動きを余儀なくされました。一

方、県庁にも呼び出され、当時の前川知事、平井副知事(現知事)、民生部長か

ら「香川県における聴覚言語障害の治療・訓練体系を確立してほしい。特に、小

児の聴覚言語障害の療育を充実させてほしい」という強い要望がありました(今

になれば、知事が新任職員に訓示することが異例中の異例であることがよくわか

ります)。 

 このような事柄が次から次と起こることで、何にもわからないまま、香川県に

帰って来た私にも、柴田先生の言われたことばの意味が少し分かるようになりま

した。「東京や大阪であれば、話題にもならないようなことが、どうしてこんな

に大きく取り上げられるのか? 本当に、10年以上遅れている」ということを

痛感させられたものです。

 「えらいところへ帰って来た、何とかしなければならない。でも何からはじめ

ていいのかわからない」という状況が続く中で、6月には、ひかり整肢学園の脳

性麻痺の子どもたち以外に、外来の聴覚言語障害児(者)が100名以上になっ

てしまいました。自分一人では解決できる状況ではなくなってしまい、困り果て

て、近くの県立養護学校にいらっしゃった小西先生、平井先生に毎日のように相

談にのってもらっていました。両先生のアドバイスもあって、私の恩師である四

国学院大学の中園先生に相談を持ちかけ、いろいろな解決策をいただいたのです

が、その一つに、香川県下の障害児療育を積極的に実践されている先生方と一緒

に「ことば」をテーマに勉強会をしてみてはというのがありました。それが「香

川聴覚言語障害治療教育研究会」の始まりだったのです。研究会はほぼ月1回の

ペースで開催され、その内容は、県内外から大学の先生や現場の先生を招いての

講演会であったり、会員による症例発表であったり様々でした。コーヒー一杯

(当時は「不二の屋」という喫茶店で行われていました)で、3〜4時間があっ

というまに過ぎてしまうほど熱っぽいものでした。この研究会を積み重ねるなか

で、多くの会員の賛成で、研究会の集大成として、一年に一回、キャンプをする

ことになりました。その結果、昭和51年8月に、第1回のキャンプが粟島で行

われたのです。これが「キャンプ」の生い立ちです。            

                      



3 地域の人々の輪に支えられたそれぞれのキャンプ地

 

1) 「粟島キャンプ」(第1〜3回)時代


 まずキヤンプの候補地選びですが、自然に恵まれ、山や海もあること。一団体

だけで活動でき、家族的な雰囲気が残されていること。また、何よりもお金がで

きるだけかからない場所という条件で検討を重ね、いくつかの候補地があげられ

ましたが、昭和51年5月、雨の中をポンポン船に揺られて訪れた粟島の牧歌的

な雰囲気に4人(中園、平井、小西、笠井)は大感激をしてしまい、粟島で第1

回キャンプを行うことを決定しました。

 第1回〜第3回までは、「粟島キャンプ」として粟島の潮風荘を拠点に行われ

ました。第1回は対象児7名(すべて口蓋裂児)で、スタッフも含めて総勢34

名でした。初めてのキャンプということでスタッフの意気込みが強かったこと、

対象児がすべて口蓋裂児ということもあり、キャンプ地にオージオメーターや訓

練用具などを持ち込んで、一日一時間程度は訓練時間を取りました。そのあとは

本来のキャンプで行われる海水浴やキャンプファイヤーなどを全員で楽しむとと

もに、島の中にある自然の素材を活用した創作活動など「手作りの遊び」も特徴

の一つでありました。夜は全員が大広間(そんなに格好いいものではなかった

が)に集まり、汗だくになりながら室内遊びを展開しました。そして、子どもた

ちが眠った後は、親御さんとスタッフで夜明け近くまで、お酒を酌み交わしなが

ら子どもたちの将来について話し合いました。家族的な雰囲気のなかで培われた

人の輪はとても信頼関係の強いものになりました。

 キャンプ終了近くなるにつれて、すべての親御さんから、来年も来たいという

希望が強くだされました。この熱意にほだされたキャンプ長の中園先生は来年も

キャンプを行うことを親御さんに約束しました。

 第2回は、口蓋裂児以外に、難聴やことばの遅れの新しい子どもたち10名を

加えて、総勢約70名で行いました。第1回目のような訓練的なことは取り止

め、キャンプ本来の活動を中心に行いました。親御さんとの話し合いから、対象

児の兄弟や父親の参加を積極的に促して家庭全体で対象児の問題を取り組んでい

くことが必要があることをスタッフは学んでいきました。 

 第3回では、対象児を3組少なくし、1組の家族に兄弟や父親の参加を促しま

した。家族の人数が4〜5名になるところもあり、総数では80名を越えてしま

いました。他のキャンプに比べて、このキャンプに兄弟や父親の参加が多いの

は、この時からの伝統なのです。         

 「粟島キャンプ」での思い出に、食事はすべて島のおばさんたちが潮風荘に来

て作ってくれたことがあります。島の野菜や魚をふんだんに使った料理は今も忘

れられない味です。また、夜の懇談会用のおつまみもおばさんたちがせっせと作

ってくれて、みんなの感激を誘ったものです。五ヱ門風呂を沸かしてくれたの

も、おばさんたちでした。 

 第1〜3回を通して、詫間の小川日出夫氏は「粟島キャンプ」のために、モー

ターボートを用意して下さり、子どもたちや大人たちを乗せて、瀬戸の島々を遊

覧して下さいました。まったく新しい経験に最初は戸惑いもありましたが、慣れ

るにしたがって何回も乗せてもらうことを要求する子どもたちがいて、そのたび

に小川氏は快く引き受けて下さいました。

 第3回キャンプは、初日から台風に襲来されました。2日目から参加予定だっ

た香川大学の藤本先生が台風の中、朝からずっと、対岸の須田港で待ち続け、台

風が通り過ぎるのを待って駆けつけてきて下さいました。この出来事に親御さん

たちは「私たちのことをここまで考えてくださる人がいること初めて知りまし

た。ほんとうに嬉しいです」と涙ながらに語ってくれました。自然環境に恵ま

れ、地元の人々の暖かいもてなしに「粟島キャンプ」が盛り上がっていけばいく

ほど、キャンプへの参加希望者が増える一方になっていました。しかし、潮風荘

の収容能力から考えて、これ以上、「粟島キャンプ」では対象児を増やすことが

できないところまできていました。



2) 「小豆島キャンプ」(第4回)時代


 昭和54年3月の研究会の幹事会で、年々増えてくるキャンプ参加希望者に応

える方向でキャンプ運営を考えていくという結論が出されました。その結果、昭

和54年4月頃から、新しいキャンプ地探しの模索がはじまりました。しかし、

最初に抱いた私たちのキャンプ地の条件に当てはまる場所を探すことは難しく、

6月近くまで決まりませんでした。しかし、ちょうどその頃、私の故郷である小

豆島の土庄町の教育委員会に同級生がいたこと、土庄町の教育長が私の恩師であ

ったこともあって、戸形小学校を全面的に借りることができました。そこで第4

回「小豆島キャンプ」が行われたのです。

 忘れてはいけないことに、NHK高松放送局が特別番組を組んでいただいたこ

とがあります。プロデューサー、アナウンサー(大西勝也氏)、カメラマンなど

が4日間一緒に泊まり込んで取材をし、8月の終わりには、30分番組として放

送されました。この番組を通して、広く県民にこのキャンプの趣旨が伝わったこ

とはとても意義深いことでした。また、放映後、キャンプについての問い合わせ

の電話が何本もあり、マスコミの力の大きさにつくづく驚嘆させられました。 

また、今も続いているバスによる送迎は小豆島キャンプの時から始まったもので

す。バスによる送迎が「最初と最後の厳粛なセレモニー」として、すべての人々

に大きな感動を与えました。このバスによる送迎がいい意味でのこだわりとして

現在も詫間キャンプに受け継がれています。地元の人たちの協力・援助にはたい

へん頭が下がりました。すべての食事を準備してくれた割烹のマスター(本来給

食弁当などはしない店なのに低料金で快く引き受けてくれました)、4日間軽ト

ラックを無料で貸してくれた地元の人、送迎用のバスを低料金で配車してくれた

小豆島バス、そして、なによりも4日間のキャンプがスムーズにいくように側面

から配慮してくれた土庄町教育委員会および戸形小学校の先生方など。本当に多

くの地元の人々に支えられたキャンプでした。

 「小豆島キャンプ」は、山と海に囲まれ、環境的には申し分ないし、規模とし

ても300〜400人は収容できる場所(もちろん施設費は無料)はそう簡単に

得られないという認識があったのですが、一年で打ち切られました。そのもっと

も大きな理由は、粟島と同じように島という条件は変わらないのですが、参加者

の急増に伴う準備物が莫大に増え、フェリー(現在は高速船もある)でしか移動

できいことによる財政的負担が増大したことでした。



3) 「詫間キャンプ」(第5〜20回)時代


 「小豆島キャンプ」を一回限りで打ち切ることになり、また新しいキャンプ地

探しはたいへん困難をきわめました。戸形小学校以上のものを探すことは至難の

業でした。東は大川郡引田町から西は観音寺市まで可能性のある場所はすべてと

いえるほど実際に足を運んだりして検討しました。しかし、私たちは、あくまで

も最初に掲げた「キャンプ地の条件」にこだわり続けていました。そんなある

日、浅野先生(現 県立中央病院)から「詫間の緑の村管理センターはいかんや

ろうか」という提案がありました。浅野先生の郷里で、詫間町とも話のできる状

況にあり、もしかしたら貸してもらえるかもしれないということでさっそく下見

に行くことになりました。完成間もない緑の村管理センター(体育館)、広い運

動場、歩いていける海、すぐ近くに山など私たちの「キャンプ地の条件」と一致

するものであったのです。さっそく詫間町にお願いに伺ったところ、松田町長

(前町長)をはじめ町が一丸となって協力することを約束してくれました。もち

ろん、施設費などすべて無料にしていただけることになりました。詳細な交渉は

地元である浅野先生に全面的に委託したことがとてもスムーズにいった要因であ

ったと思っています。それから15年間詫間町は現横山町長を先頭に「福祉の町

づくり」の一環として、協力・支援を続けていただいています。

 なお、第19回キャンプは「香川県の渇水」のため、詫間でのキャンプは中止

せざるえなくなり、それでも時期をずらし、規模を縮小して、丸亀市の沖にある

手島で「第19回詫間キャンプ」として行いました。



4 運営資金の確保 


 キャンプを実施することは決定したものの、キャンプを運営していく資金をど

のように確保するかということはとても難題でした。研究会会長の中園先生の意

向もあって「手作りのキャンプ」を基本的な姿勢として掲げていたため、行政か

らの補助金はもらわないことが前提にあり、運営資金の確保は困難をきたしまし

た。

 中園先生が「自前でやろう。あるスポンサーがいてやるんではなく、私たちの

力で誰にも頼らず」という提言により、第1回目の「粟島キャンプ」から、参加

者全員が相互に勉強しあう場であるという認識にたって、キャンプ参加費を全員

から徴収することになりました。スタッフは1万円、学生ボランティアは1千

円、対象児の親子は3千円という20年前のお金としてはたいへん高いものであ

ったような気がします。しかし、当時のスタッフから何のクレームもつかず、学

生たちも同様でした。むしろ、これだけのお金を親御さんからもらってやるキャ

ンプなんだから、キャンプが終わったとき、親御さんたちから「3千円は安かっ

た、来年もぜひ参加したい」と言ってもらえるようなキャンプにしようという熱

い意気込みがみんなのなかにあったような気がします。中園先生の意向でキャン

プの報告書をだすことになっていましたが、その印刷代を捻出するのにたいへん

苦労をしました。幸い、小西先生(研究会財政部長?)という知恵袋がいました

ので、いろいろなところを駆けずり回っていただいてなんとか収支決算0にする

ことができました。もう一つ、赤字を出さなくてすんだ要因として、第1〜10

回まで、朝日新聞厚生文化事業団がキャンプを後援して下さったことがあげられ

ます。第1回は5万円でしたが、最高20万円まで援助していただきました。ま

た、第4回〜12回まではNHK高松放送局にも後援(5万円程度)していただ

き、キャンプ運営上とても助かりました。

 また、仕事との関係はまったくない山本美容室の山本氏は、あるところから私

たちの活動を知り、私たちのキャンプの趣旨に大いなる賛同をいただき、キャン

プの始まる約1ヵ月前に美容室でチャリティバザーを開き、その集益金でキャン

プ参加者全員に詫間キャンプのシンボルマーク付きのTシャツを第9回〜第17

回まで、提供していただきました。このTシャツは参加者にとても好評で、Tシ

ャツほしさにキャンプに参加するスタッフもいるという噂を聞いたほどです。 

裏方を預かる事務局としては、キャンプ参加者の負担をできるだけ軽減したかっ

たこと(特に、対象児の親子、ボランティア)、このキャンプを地域社会の人々

にも理解してもらうことを目的に第2回の報告書からは、広告(協賛金として)

を掲載することにしました。お金を集めることに関してはまったくの素人集団に

とって「言うは易く、行うは難し」ということば通り、4月から約2ヵ月間、足

を棒にして香川県下を回ったのですが、ご理解いただき、協力していただいたの

はわずか6企業だけでした。この6企業の中には、第2回から第20回まで、ず

っと協力して協賛金を出していただいている田坂耳鼻咽喉科医院の田坂先生がい

らっしゃることを記載しておかなければなりません。そして、キャンプの回数を

重ねていくごとに、協力していただける企業も増え、今では約40近くにもなっ

てきています。



5 県内外各地から応援に駆けつけて下さった指導者の先生方


 第1回だけは四国学院大学中園先生、香川大学の藤本先生、観音寺教育センタ

ーの堀川先生など県内の先生方10名だけで行なわれました。しかし、ボランテ

ィアとして、当時国立聴力言語障害センターの学生だった川西先生、小林(浅

野)先生や日本大学大学院の丸尾氏などがはるばる東京から駆けつけてくれまし

た。

 第2回以降は表にあるように、県外の先生方がほぼ毎年4〜5名参加してくれ

ています。第3回から新しく参加していただいた、難波先生、船津先生、一色先

生はその後ずっとこのキャンプをお手伝いいただいています。その上、このキャ

ンプの噂を聞き付けて、新しく県外から参加してくれる先生方も毎年1〜2名は

います。

 県内の先生方は、言語療法士はもちろん、保育所の保母や障害児(者)施設の

職員など福祉関係者、医師や看護婦や保健婦、理学療法士や作業療法士など医療

関係者、幼稚園や特殊学級の先生方、また四国の他県のキャンプではあまりみら

れない県下の特殊(養護)学校や大学の先生方など教育関係者が数多く参加して

いただいています。

 今、老人や障害児(者)問題を考える時、福祉、医療、教育が緊密な連携を図

ったチームアプローチの重要性が唱えられていますが、私たちのキャンプでは、

当初から障害児の全面的発達保障という視点に立った指導をしていくということ

で、福祉関係者、医療関係者、教育関係者の参加をお願いしてきました。これら

の人たちとの連携がこのキャンプの大きな特徴ですし、このキャンプが20年間

続いてきた原動力になっていると思っています。

 ボランティアとして参加した学生たちの中から、特殊学級や養護学校の先生に

なり、今度はスタッフとして参加してもらえるようになっています。また、言語

療法士の道に進む学生も出てきています。その内、数人は香川県へ帰ってきて活

躍しており、もちろんこのキャンプのスタッフとしてもお手伝いしていただいて

います。



6 キャンプは学生の実践教育の場 


 キャンプの目的の一つに「学生の実践教育の場」ということを掲げています。

学生はキャンプ当日は対象児を一対一で担当していくとともに、対象児の一日の

行動を詳細に記録しなければなりません。それを踏まえて夜のミーティングの時

に指導者の先生方から対象児との接し方・関わり方についてアドバイスを受け、

次の日の対象児との関わりをよりよいものにしていくという基本姿勢は第1回キ

ャンプから貫かれています。3日間の対象児との関わりの詳細な記録はキャンプ

後の報告書にまとめられます。全国各地で療育キャンプが盛んに行われています

が、キャンプ終了後、子どもの行動記録をまとめた報告書までだしているキャン

プはめずらしいし、ましてや第1〜20回までずっと報告書をだしているキャン

プはないといってもいいぐらい貴重なものです。これは私たちがキャンプを「学

生の実践教育の場」として位置づけたことが大きな要因になっていると思いま

す。  

 私たち(主には中園先生)の考え方として、このようなすばらしい実践教育の

場を提供するのだから授業料を払ってもらおうということで第1回からずっと学

生もスタッフもキャンプ参加費を払っています。私たちは、払った参加費以上の

ものをこのキャンプに参加した子どもたちや親御さんたちから、障害児療育に関

する様々なことを教えていただいています。

 ボランティアは第1回〜第5回までは四国学院大学の学生だけで対応していま

したが、第6回以降は香川大学の学生も加わってもらえるようになりました。こ

こ数年は、四国学院大学、香川大学以外の大学やSTの養成校の学生も参加し、

幅が広がってきています。また、キャンプに対象児の兄弟として参加した子ども

たちが大きくなり、中学生や高校生でありながらボランティアをかってでてくれ

るようになってきたのもここ数年の動きの特徴です。高知県や愛媛県で同じよう

なキャンプを実施されている先生方から「香川はボランティアの質が高い」と言

われることがあります。私も毎年四国の他県のキャンプをお手伝いに行っていま

すが、香川のボランティアの質の高さは自慢していいとひそかに思っています。

 それにしても、真夏の炎天下、冷房のない体育館で対象児と汗だくになりなが

ら関わり、その合間に子どもの動きをノートに書き留め、子どもたちが寝静まっ

たあともスタッフとのミーティング、さらに続いて親御さんを囲んでの懇親

会・・・・・・ 。ほんとうに学生たちの間で言われている「詫間キャンプは、

悪魔キャンプ」そのものなのです。その上、キャンプ参加費7千円(現在)を取

られ、キャンプ終了後1週間以内に「行動記録」として原稿用紙(20×20)20

枚近くを提出しなければなりません。「最近の若い者は・・・・」ということば

をよく耳にしますが、ここではキャンプに参加する学生に逆に頭が下がります。

 昨年の1月、阪神大震災の時、ボランティアの重要性が大きく取り上げられ、

「ボランティア元年」ということば流行するほど、日本におけるボランティア活

動の貧弱さが指摘されました。しかし、このキャンプでは、20年前から、真の

ボランティア活動を実践してきたことを誇りに思ってもいいのではないでしょう

か。この紙面をお借りして、20回のキャンプにボランティアとして参加して、

キャンプを支えてくださった学生たちにお礼のことばを改めて述べたいと思いま

す。





7 なぜ1回しか参加できないの?


 「来年も、参加させてくだい」、「えっ、1回しか参加できないですか?」、

「どうして、1回しか参加できないのですか?」、キャンプに参加した親御さん

から、不満の声を聞き、説明に困ることがたびたびありました。

 しかし、年々増えてくるキャンプ参加希望者に応えるためには、参加回数の制

限を考えるしかないという判断のもとに、第4回キャンプからは、参加回数を1

回のみにすることになりました。その決定までには、さまざまな議論が何回も繰

り返されました。私たちの基本姿勢が子どもたちの全面的発達保障である以上、

何年も経過を追っていかなければならない、その中にキャンプも位置し、成長・

発達と今後の課題を確認する機会としたいと考える先生。一方、限られた空間、

限られた資金などすべてに「限られた」ということばが付きまとうこのキャンプ

の運営から考えると、無制限に対象児の数を増やすわけにはいけない。だった

ら、一人でも多くの子どもたちに、また親御さんたちにこの感動を経験してほし

いと思う先生。キャンプでカバーできないところは、日常臨床活動をより濃密に

していくように努めるという考えの先生。さまざまな議論のあげく、とにかく、

参加回数は1回で実施してみることで結論を得ました。その後、親御さんの強い

要望、スタッフ・ボランティアの質的充実、運営資金の安定供給(協賛していた

だける企業が確実に増えたこと)などがあり、第9回から参加回数を最高3回ま

で参加できるようにしました。当然、参加できる対象児数も5〜10名近く増や

すことで、新しい子どもたちの参加もできるようにしました。

 ところが、今度は「どうして、幼児期しか参加できないのか?」、「ぜひ小学

校に上がっても、参加させてほしい」などの希望の声がでて、新たな問題が持ち

上がりました。

 幹事会では、この希望に応えるだけの力がないのではないかという意見が多

く、また、幼児と学童が同じプログラムではキャンプはできない。キャンプ自体

が稀薄なものになってしまうのではないだろうか?、これ以上キャンプの規模を

大きくすれば責任をもって子どもたちの動きを観察・指導できなくなるのではな

いだろうか?、

 こんな議論になかで、西部養護学校の大西先生からある提案がなされました。

「障害児の成長・発達は就学前で止まるわけではない。私たちの基本姿勢が障害

児の全面的発達保障であるなら、小学生になった子どもたちの成長・発達も追っ

ていかなければならないのではないだろうか。彼らの成長・発達を幼児期の子ど

もたちの指導に還元できるのでは?」「幼児期の親御さんにとっては、先輩の親

御さんからいろいろな経験談を聞けることは、たいへん役に立つのでは」、「発

達はシイクエンスとしてとらえなければならない」

 大西先生の提案に納得した幹事会は学童も受け入れて、キャンプを実施する方

向に傾いていきました。そして、第12回から幼児組(25組)と学童組(10

組)で新たなスタートとなりました。幼児組は基本的にはこれまでと同様のプロ

グラムで行い、学童組は「自立に向かって」を基本テーマとし、親子分離をし

て、テントで寝起きをするという、幼児組とは別プログラムでの活動となりまし

た。これを機に、キャンプ参加者の総数は300〜350名近くにふくれ上がり

ました。





8 キャンプの裏の顔・表の顔 


 どのような活動にも裏の顔・表の顔があります。例えば、すばらしい映画が完

成するまでには、長期間の準備期間が必要であるし、その準備がうまくいけば7

0〜80%はその映画は完成したといえます。そこまでの過程はほとんど裏の

顔、つまり裏方の仕事になるわけです。そして、映画作りが本格的になって、は

じめて主演女優や主演男優が登場してきます。この過程が表の顔、つまり本番の

仕事が始まるのです。もちろん、裏方の仕事は本番が終わるまで平行して続けら

れます。すばらしい映画の完成には、裏方の仕事(裏の顔)と本番の仕事(表の

顔)が有機的な連携で絡み合ってできるものです。

 キャンプも同様で、主役の子どもたちが登場するキャンプ当日までの準備がど

れだけ充分にできているかどうかが勝負になるのです。



1) 4ヵ月前から始まるキャンプの準備


 新年度を迎えたばかりの4月中旬には、県下の言語療法士が集まって、今年の

キャンプをどのように行っていくか、いろいろな角度から検討され、基本的なプ

ログラムが作成されます。そして、4月下旬には、幹事会で承認されて、はじめ

てキャンプの準備が開始されます。

 キャンプ全体の流れ、ボランティアやスタッフの手配、協賛金集めなど、まさ

に裏方の仕事に徹するグループとキャンプ本番のプログラムを詳細に検討してい

くグループに分かれて準備が行われます。

 6月に入ると、本格的準備が可動し始めます。1週間2回、仕事を終えたばか

りの県下の主要なスタッフの先生方が集まり、自分に与えられた役割を熟してい

きます。1週間1回は各グループのリーダーが集まって、仕事の進行具合や新し

い問題への対応などが話し合われます。常に話し合い、確認し合うことでスタッ

フ間の意志疎通を良くしておきます。本番での団結力につながるとともに、大集

団を切り回していくためには、個人プレーは絶対さけなければならないという大

原則をこの準備段階で身につけていくのです。

 ある人からみると、この準備期間を不合理だとか、時間の無駄使いとみえるか

もしれませんが、この期間にスタッフ間の意志疎通の高まりが、本番のキャンプ

の成功に大きな影響を及ぼすことを身に染みて感じています。



2) 手作り教材作りの意味


 キャンプは本来的に非現実的な活動であります。だから、キャンプ地の自然環

境をフルに活かした活動をプログラムとして考えていけばいいのですが、このキ

ャンプに参加する子どもたちの多くは「遊びを知らない子」、「遊べない子」と

いわれる発達障害児です。特に、家族(母親)にとって「遊ばせたい」という気

持ちはあっても、どのように遊ばせていいのかわからないで困っている現実があ

るわけです。そこで、いろいろな遊びを楽しむために、いろいろな教材を準備し

ていくわけです。だから、あくまでも教材は遊びを展開していくための手段にし

かすぎないのです。もう一つには、表の顔で子どもたちをリードしていくスタッ

フの先生方の活動が、子どもたちにとって、より楽しい、より面白いものにする

ための小道具的な役割に必要なものとして教材を準備するのです。ここでは、や

はり、主役は子どもの動きであり、教材は学生との関わりの援助者となりえれ

ば、まず成功といえるでしょう。

 また、たくま市、キャンプファイヤー、海やプールなどで使う大道具としての

教材はスタッフの腕の見せどころとして毎年力を入れて作っています。

 キャンプのための教材作りは、子どもたちの自主性や創造性を促していくため

の手段となるように工夫され、毎年準備段階で大いにスタッフたちを悩ませてい

るものです。



3) 事前学習会で何をするの?


 第5回のキャンプ前に始まった事前学習会は、キャンプの始まる約1ヵ月前の

土、日曜日を使って、1泊2日の合宿を行ないます。キャンプに参加するボラン

ティアと新スタッフに対して、聴覚言語障害の基礎知識、対象児への接し方・関

わり方、記録の取り方について講義を受けてもらい、キャンプ本番で、対象児と

の関わりに戸惑いや不安を少しでも軽減してもらうことが大きな目的の一つで

す。

 各ボランティアが担当する対象児をキャンプの1ヵ月前に発表することで、キ

ャンプ前に対象児の親御さんと手紙や電話で連絡をとることができ、ボランテイ

アと親御さん相互のキャンプへの不安解消に役立っています。事前学習会で、担

当の言語療法士から子どもの状態について、詳細に説明してもらうことで、担当

する対象児の理解を深めてもらうことも大切なことです。

 また、各グループごとに分かれて、ミーティングやグループ活動をしてもらう

ことで、グループとしてのまとまりを形成してもらうこともねらいです。

 夜の懇親会では、スタッフとボランティアの交流を深めることで、ボランティ

アがキャンプ本番での戸惑いや不安を取りのぞき、子どもとの関わりに集中でき

るように仕向けていくことも、裏方の仕事を預かる事務局の大きな仕事の一つで

あると考えています。



4) 食事準備ができている!


 「3日間、母親を家事から解放して、一定の距離をおいて、客観的に子どもの

動きを見てもらおう」ということで、キャンプにつきものの飯盒水飯など、一切

の食事の準備やお茶の炊き出しは、母親の手を煩わさないで、スタッフでやろう

というのもこのキャンプの伝統です。だから食事の配膳も裏方担当の仕事の一つ

なのです。

 母親には、ボランティアと遊んでいる子どもの動きをじっくり見てほしいし、

自分の時間さえ十分に取れない日々の生活から解放して、母親自身もキャンプを

楽しんでほしい。スーパーバイザーの先生方とじっくり子どものことで話し合っ

てほしいという願いをこめて、すべての雑用から解放しているのです。だから、

ランチルームへ行けば、食事が準備され、すぐ食べられる状態になっているので

す。



9 親の会の協力


 このキャンプに参加してきた父親を中心に、昭和62年に「父親の会」が結成

され、障害児を持つ父親として、子どもたちに何ができるかを話し合うための会

が月1回程度持たれるようになりました。そして、その会が、平成元年4月に、

全国言語障害児を持つ親の会の四国ブロック長の三木章市氏、宮西小学校の一色

先生のご尽力により「香川県言語障害児を持つ親の会」を結成することができ、

全国的にも容認される団体として活動をはじめました。

 親の会の活動の一つとして、秋に1泊2日の合宿を行っているのですが、その

運営方法を積極的に勉強したいということ。また、学童組に親の会の子どもたち

が多く参加していることもあり、親の会のメンバーが、第15回のキャンプか

ら、キャンプの裏方の仕事を手伝ってもらえるようになりました。3〜4日間も

職場に休暇を取って、裏方のスタッフと一緒に、キャンプが円滑に進むようにと

朝早くから夜遅くまで、動いています。最初1〜2年はどのように動いていいの

かわからず、戸惑いもあったようですが、今はスタッフ以上の動きに頼もしさを

感じています。 また、障害児の親の先輩として、幼児組の親御さんにいろいろ

なアドバイスしていただいています。幼児組の親御さんにとっては、非常に心強

い存在として、感謝されています。

 一人で悩まれていることの多い親御さんにとっては、横のつながりの必要性を

実感する出会いの場でもあり、キャンプ終了後は親御さん同志で連絡を取り合う

仲になる人もいますし、親の会に新しく参加される方もいらしゃいます。

 このように、親の会がキャンプで重要な役割を演じていることは、とても喜ば

しいことです。



10 おわりに


 先輩たちが築いてきた20年の「キャンプの歴史」について、全部を網羅した

わけではありませんが、振り返ってみました。これまでのキャンプは、キャンプ

関係者以外だけでなく、療育関係者、行政、企業、地域の人々など多く人々のご

理解、ご協力・ご支援によって支えられてきました。これらの人々の期待を裏切

らないためにも、一段とすばらしいキャンプになるように努力していかなければ

ならないと思っています。そして、主役である子どもたちや親御さんにとって、

このキャンプが成長・発達のための大きな飛躍の原点になるようなものでありた

いと思っています。

 これまでの20回のキャンプには、すばらしい点もたくさんありましたが、改

善しなければならない点も多くあります。もう一度、キャンプの在り方・運営な

どについて、冷静に、客観的に見直しをしていただいて、もう一段グレードアッ

プしたキャンプを模索してほしいと思っています。そのために、この『キャンプ

の歴史』が、少しでもお役に立てば、幸いと思っています。





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