■ 疫学の基礎(第1回)

Copyright (C) 福永一郎 1995

疫学の基礎(第1回)

香川県丸亀保健所 福永一郎
この解説文は<ラウンドミラー第5号>に掲載されたものです。

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はじめに



 疫学とは公衆衛生の診断学であるが,治療効果の判定などにも有用であり,臨床

疫学という分野が成立していることからも見られるように,現在では医用統計を扱

うための基礎的な学問でもある。しかし,現実には,疫学は統計的な作業を必要と

する場合が多いため,理解しにくい部分が多い学問でもある。本稿では,特にその

基本的な概念について,若干の概説を試みたい。



1.疫学とは



 疫学は英語ではepidemiologyという。epiとはupon,demioはdemosで人間集団を示

し,logyは学問である。従って,疫学とは人間集団を観察する学問(人間生態学)

のことである。一説によれば,日本ではこの学問が西洋からはいってきたとき,伝

染病予防が重要な課題であったため,「疫」の字をあてたと言われているが,決し

て感染症の統計学ではない。人間集団の観察とは,乱暴に言えば,集団の診断学の

ことである。



2.公衆衛生的手法のプロセスと疫学



 臨床におけるプロセスは以下にあげるようなものである。



・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・      

・主 訴・ ・診察→診断・ ・治療方針・ ・治 療・ ・治療評価・      

・徴 候・→・検査   ・→・治療計画・→・   ・→・        ・      

・・・・・  ・・・・・・・  ・・・・・・  ・・・・・  ・・・・・・      

    (SEE)     (PLAN)  (D O) (SEE)



 これに公衆衛生的手法を対比してみると以下のようになる。



・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・      

・何らかの・ ・集団の・ ・対 策・ ・対策の実行・ ・実施結果・      

・きっかけ・→・観 察・→・   ・→・     ・→・の評価  ・      

・・・・・・  ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・・・  ・・・・・・      

       (疫学手法)              (疫学手法)

    (SEE)     (PLAN)  (D O) (SEE)



 このように,疫学は,公衆衛生的手法のうち,SEEの部分の主要な方法論であ

り,これが公衆衛生の診断学と呼ばれゆえんである。



3.疫学の対象



 疫学は「健康異常」を対象としている。

 健康異常は,単一の原因によってひきおこされるものではなく,複数の要因が複

雑に絡み合って成立する。それは具体的に示すと,以下のようになる。



【疫学三要因】

                          ・・・・・                                    

                         ・病 原・                                    

                          ・・・・・                                    

                  ・・・・・ △ ・・・・・                        

                  ・宿 主・    ・環 境・                        

                  ・・・・・    ・・・・・                        



 この3要因が複雑に絡み合って健康異常が成立する。

 たとえば,「かぜ」という病気についてみると,同じようにかぜのウイルスにさ

らされても,かぜをひく人とひかない人がいるように,かぜの病原であるウイルス

があるだけでは成立しない。宿主(人)の免疫状態などに関係する「体調」「生活

習慣」や,寒冷,乾燥,大気の状態という物理的環境,労働環境や人間関係,ライ

フイベントなどの社会的環境が複雑に絡み合い影響を与える(このことを因果の綾

と呼ぶ)。いらいらして不規則な生活を強いられているとかぜにやられやすいとい

うことは,この宿主要因と環境要因を考えれば説明がつく。

 慢性病の多くは,病原がいまだ不明である(遺伝子レベルで解析されつつある

が)。したがって,家族歴や保健習慣などの宿主要因や,物理的社会的な環境要因

の調整が,現在の成人病予防対策の全てであり,これらはこの疫学的な考え方に基

づいている。

 これは古典的なモデル,いくつかの修正モデルも提唱されている。また,きちん

とは分類しにくい要因もあるが,いずれにせよ,このようなモデルで疾病とか健康

異常を考えてゆくことが出来れば,その防止のためにはどのような介入方法を考え

たらよいかということを明らかに出来るのである。



例1<かぜ>                                           

                                                                   

  ・・・・・・・・・                                                    

---------------------------------------------- 発病ライン                       

  ・まわりの環境  ・・・・・・・・・・                                  

  ・・・・・・・・・・まわりの環境  ・ 環境要因                         

  ・              ・・・・・・・・・・                                  

  ・からだの状態  ・・からだの状態  ・ 宿主要因                         

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                  

  ・              ・・              ・                                  

  ・風邪のウイルス・・風邪のウイルス・ 病因                             

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                

   風邪をひいた    風邪をひかずにすんだ                          

                                                                   

                                                                   

例2<成人病>                                       

                                                                   

  ・・・・・・・・・                                                    

  ・              ・                                                    

---------------------------------------------- 発病ライン

  ・まわりの環境  ・・・・・・・・・・                                  

  ・・・・・・・・・・まわりの環境  ・ 環境要因                         

  ・              ・・・・・・・・・・                                  

  ・生活習慣      ・・生活習慣      ・ 宿主要因                         

  ・              ・・              ・                                  

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                  

  ・遺伝傾向      ・・遺伝傾向      ・ 病因                             

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                

  成人病になった    健康である                                   

                                                                   

                                                                   

4.疫学の方法



 疫学の方法は,人間集団中の「疾病(健康異常,事件,事象など)」発生数を数え上げることである。



             要 因 暴 露

・・・・・  ↓↓↓↓↓↓↓↓       ・・・・・・・・・・・・・        

・集 団・--------------------------→・ どのように変わったか ・        

・・・・・    ↑↑↑↑↑↑↑↑        ・・・・・・・・・・・・・        

                                                                        

 測るもの ・・・・ 暴露の程度・・・・・・・・変化の程度                

                                                                        



     ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・                          

     ・ある要因暴露・−・疾病の発生頻度・                          

          ・・・・・・・・  ・・・・・・・・・                          



 この関連を明らかにするわけであるが,予防対策に役立てるため,できるだけ定

量的に示すことが必要である。

 要因の関与の大小が定量的に示されれば,理論的には,関与の大なるものに対し

て予防対策を講ずればより効果的であるわけで,これらを測る指標として相対危険

度(オッズ比などもこれに含まれる),寄与危険度などがある。実際は対策の実行

可能性なども関係する。



5.疫学方法論



 以下の3つの方法によって行う。記述疫学を行って仮説をたて,分析疫学によっ

て要因の与えている影響を定量的に測り,その結果に基づいて介入疫学を行うのが

基本であるが,分析疫学的方法は実施にかなり大規模な計画を必要とするので,実

際は,記述疫学によって仮説をたて,それから介入疫学的方法を行うことが多い。



【記述疫学】

 疫学の基本であり,観察対象について,現象を記述し,健康異常の分布状況,分

布の特徴,各現象相互間の関係などを記述し,仮説をたてることが目的である。

 <臨床現場での応用例 → 病気のプロフィールを調べる>



【分析疫学】

 記述疫学によってたてられた仮説を検証し,観察対象について要因が健康異常に

与える影響(リスク)を測ることが目的である。これには,患者対照研究とコ

ホート研究とがある。

 <臨床現場での応用例 → 病気の発病に影響を与える要因を調べる>



【介入疫学】

 記述疫学,あるいは分析疫学によって得られた仮説やリスクに従って,観察集団

に要因除去という介入を行い,その結果を測ることでその要因が観察集団に与えて

いた影響を検証する方法である。

 <臨床現場での応用例 → 治療効果を測る>





参考文献

重松逸造,柳川洋編.新しい疫学.日本公衆衛生協会,東京.1991.