以下に、”B.セルフヘルプグループ関係者から見た保健・医療・福祉の連携への要望について −インターネットを利用したパイロット調査”の「9.自由意見」を全文記載いたします。ただし、プライバシーが特定できる表現は変えてあります。
研究班において「連携」に強く関連すると判断した部分はゴシックにしてあります。・・・注)HTML化に際し区別をしておりません・・・
番号のあとに、回答者の所属するセルフヘルプグループの対象障害・疾病を示します。
1 LD
LD(学習障害)に限って言えば、保健・医療・福祉各分野での認知が遅れているため相談機関での対応がほとんどないのが現実であると思います。
ただ、東京都・神奈川県など一部地域では、少しずつですが取り組みが進んでいるようです。
ただし、LD(学習障害)らしいとの診断や判断を受けても、具体的な療育相談を受けられる機関はほんの数えるしかないのが実状です。
一日も早く、厚生省当局などにおいては、LD(学習障害)に対する抜本的対策を立てていただきたいと思う。また、LD(学習障害)に関連して、ADHD(注意欠陥多動性障害)についても、同様の現状であるので、厚生省当局などにおいては、LD(学習障害)に対する抜本的対策を立てていただきたいと思う。
2 自閉症
当面は、障碍を越えた集まりとして『育成会』、専門の集団としての『自閉症協会』がそれぞれ連携し、また、それぞれが、行政機関との連携を強めていくことが重要であると考えてます。縦割り行政の橋渡しは、当面、これらの団体の役目であろうと思います。
アンケートご苦労様です。有意義に反映されますことを願っております。
3 てんかん
障害担当の機関の人のなかには、障害と慢性疾患の間に厳然たる線を引いている方がいることがある。決して「お役人的」ではなく福祉や障害に関わる姿勢は尊敬できるが、身体障害、知的障害、精神障害の3大カテゴリーの考え方にこだわっているような気がする。障害でも慢性疾患でも、長期にわたり何らかの援助が必要なことにおいては変わりないことを、地域のイベントや障害者・慢性疾患等の団体の交流の機会に時間をかけて理解しあうようにしたい。
ボランティア活動の活発化や福祉サービスの向上が感じられるわりには、一般の人々だけでなく障害者の親も含め、身体障害は知的障害や精神障害よりも「まともな障害」という障害種別間による差別意識がまだ抜けない人が意外に多い。理解を深めるために、交流する場を多くつくることであると思う。
4 広く障害を対象
自分の子どものことしか考えない親が多いですね。
特に、自分の子どもの障害のレベルまでのことだけを主張し、それより重い子は無視するって人、意外に多いです。重度の子を持つグループと軽度の子を持つグループが一緒に活動することは、かなりきつい面もあることは事実です。でも、互いのグループを認め合い、交流を深めていった方が大きな意味でもトクだと考えるのは私だけなのでしょうか?(いかん、愚痴になってしまっている。(^^;))
5 ダウン症
*親が活動に参加している間の託児システムの充実
*地域に密着したレスパイトケアの充実
6 ダウン症
障害児・者が社会と接する窓口として市役所や教育委員会などの窓口がありますが、平均的にどこも対応が悪い、というよりはスペシャリストがいない事が第一歩を遅らせている大きな要因であると思います。
窓口業務はサービス業と同じように接客態度も正す必要があるだろうし、障害児・者(の親)と接するのであれば専門的知識も要求されます。しかし、実際には「お役所仕事」的なゆらぎの無い、冷たい対応になりがちです。
知らない方に情報を伝えたり、相談し合う環境づくりが求められていると思います。また、福祉行政・教育行政の全国格差が相当に大きく、個人の持つ人権やその他の権利を平等に享受することの出来ない事に対して大いに不満です。各地で親の会などが働きかけてはおりますが、管轄官庁という枠を越えてより良い環境づくりに行政としても取り組む必要性を強く感じます。保健・医療の面では、患者が使うことの出来る各種制度に対する説明がされている所とそうではない所が有るように聞いています。業務として患者に伝える義務を発生させることは出来ないのか疑問です。
欧米に比べ、医師と患者の関係は同等ではなく、医師側がかなり上位に立った関係が多く、患者側の意向を伝えることが難しい状況です。医療サイド・患者サイドとも意識の改革が必要と考えます。
7 ダウン症ほか染色体異常に起因する知的障害
情報の一元化や、関係諸機関、関係専門家間のネットワーク構築は重要でありながら十分実現できていません。しかし、心ある担当者間での任意のネットワークはある程度あるようです。行政と市民(障害を持つ当事者や家族)が地域福祉を作り上げるステップにおいて、意見の集約や吸い上げディスカッションの機会はかなり持たれてきて、○○○市福祉推進計画の障害児関係の部分の多くのページに私の意見が反映されましたが、行政が実行する時点で全く手が着けられなかったり、予算的な問題などで言い逃れてしまい、計画のごく一部しかなされていないのが現状です。
すばらしい計画ができても行政施策として具体的に実現を見なくとも、何らの責任を行政担当者がとらなくても良いところに福祉の進展が遅れる原因があるように思っています。
8 広く障害を対象
障害児を持ってから、毎年の学会参加の際、各国の障害児・者に対する状況を気をつけて見るようにしていますが、どの国もなにも特別なことをしているように見えません。ただ、建物を造ったり、道路や歩道を造ったり、学校・保育園を造ったり、バス・電車の導入、駅を造ったり、などなど、すべてにおいて障害児・者をも当然の生活者として考え、ルールが決められている。(市民も当然のことと受け止めている)これは、小さな子供の頃からの他人を思いやる徹底した教育に起因すると思われます。前述の通り、保育・教育の機会についても障害があるなし、程度の大小にかかわらず公平に与えられるべきと考えるます。
障害の程度に応じて健常児と一緒に教育するかどうかは本人と保護者の権利だと思います。それをサポートするのが行政の市民に対するサービスだと考えます。(健常児でも健常成人でも将来障害者になる可能性があるのです。その時も安心して仕事したり、一人で外出したりして暮らせる社会でないといけないと考えます。)障害児を健常児とともに育てるということは障害児のためだけになることではないからです。障害児のいる保育園では健常児達が保母に指導されなくとも、誰彼となく障害児の世話をしたがります。またその子供たちは大きくなっても障害者に対して特別視しないという事実があります。障害児がいる社会が当然の社会との認識は小さな子供の時からの混合教育がないとできないと思います。特別扱いしない代わりに特別扱いされなくとも生活できる社会にすることを考えたほうが社会にとっても余計な予算も少なくなるのではと思います。インフラ(そのような社会にすることも一つのインフラと思う)の整備をしないとルールが複雑化して実際に正しく運用されない可能性もでてくると思います。
9 広く障害を対象
○○市の場合を例に取ると、健康福祉局の同じ部・課の中であっても行政の縦割り的な構造があって私たち(利用者)が望む連携などは難しいのではと思われます。そこで、私たち個人が個人の資質に訴えてネツトワーク作りを行えたらと思います。また、住民参加などについては活動してみたい、一緒にやってみたいと思っている人たちが大勢いると思うのですが、活躍の場が無いために思いだけで終わってしまうことも多くあると思います。そこで、私たちの仕事の一つとして場の提供があると思います。しかし多くの場合、場の確保・運営費の確保・人材の確保などの障害により多くの人たちが断念してきたと思われます。
そこで先ず、行政には福祉活動に関する規制緩和を行っていただいて、民間が動きやすい土壌作りに力を注いでいただいて、出来上がった中から良いものについては継続を目的として行政が譲り受けることによって、利用者本位のネットワークの構築が出来上がるのではないかと思います。
10 広く障害を対象
わたしたちのまち、○○○県○○市では、今年からの2年計画で「障害者プラン」を作成することになり、この12月に療育手帳及び障害者手帳取得者に対するアンケート調査が行われました。しかし、わたしたちの会員の子供の多くは療育手帳を取得しておらず(知的障害が軽く手帳はもらえないが、障害児学級に所属し、生活していく上でも困難なことが多い子供たちである)このアンケート調査の対象者となることができませんでした。行政にわたしたちの声を届けるせっかくの機会であったのに、手帳の有無でアンケート対象者が一方的に切られてしまったこと、とても残念です。
また、そのアンケート調査表を見せてもらいましたが、それには障害児の子育てに関する領域(障害児を育てていてしんどいなあと思うことを言える欄など)の設問がなく「いったい誰のための何のためのアンケート調査なのだろう」という不満をおぼえました。アンケートを作る際には、その地域の障害者や障害者の親が「こんなことを聞いてほしい」という声をもっと知った上で作って欲しいと思います。
11 広く障害を対象
わたしたちのまちにも「障害者プラン」を作ってもらい もっと住みよいまち(わたしたちにとっては 障害児が生まれても「どうしていいかわからない」と途方にくれるようなことのないまち)になってほしいということで、わたしたちのような自主的に集まった複数の親の会が互いに連絡を取り合い、市の福祉課に足を運んでおりましたのに、いざ、プラン策定に向け市が動き出したら、市は「障害児者父母の会」や「身体障害者連盟」など大きな団体の代表者を策定メンバーに加えるのみで、わたしたち親の会の思いは届かないのです。わたしたちがそういう大きな団体に入ってそこで自分の立場からの意見をいい、それを会の意見として行政に向かって言ってもらうという方法もあるでしょうが、会にはそれぞれの色があります。わたしたちはわたしたちの会として、独自にやっていきたい。わたしたちの会のような小さな団体の声を聞く場も設け、それを行政に反映してもらえたらと思いました
12 ダウン症
もっと行政は、ハンディを持つ人たちのことを真剣に考えるべきです。老人福祉計画をわが町でも作成したわけですが、その中にハンディを持ったお年よりに対する事項は、残念ながらありませんでした。なかなかいえない立場にあり、苦しい限りです。保健、医療、福祉の連携について、今は健常者、児を対象にしか物事を考えていないような気がします。
本来は、すべての人たちを対象として、考えていくべきだと思います。とくにこれからの時代は。 このアンケート結果をよりよく利用されることをお願い申し上げます。遅くなって申し訳ありませんでした。
13 心臓病
発達相談員は私どもの地域には存在しませんので、教育委員会とかがもう少ししっかりしていただければ、親がやることは当然とは思いますが、保育園から小学校、小学校から中学校へ上がったときに、また一から連絡しなければなりません。小学校6年間担任の先生がかわっても以外とスムーズにいきましたが、現在中学1年になり、体育館でのお話・遠足・体育祭・体育またはその見学の仕方などなどを大まかでいいのですが、連絡がいっていれば良いと思います。楽をしようというのではなくて、親も人間ですから寒くなってからの体育・・・こどもから風邪を引いて体育を休んでいたとき「体育館で見学してたら寒かった・・・」と言われてからあわてて電話するようなこともあります。
何事も無かったので良かったのですが、けがをして体育を休んでいるような子どもと一緒にされてはちょっと困ります。高校まではとは思いませんが、せめて保育園・小学校・中学校の先生方にそう言う連絡網をつくってもらいたいと思います。
14 ダウン症
毎年「健康ひろば」という市の催しの一環で高名な講師を招いての講演会があるのですが、本年度は、市内の多くのボランティアサークル、当事者グループなどの連絡・協動を目指して、互選で代表を選び、わがまちの暮らしやすさについてシンポジウムをすることになりました。障害者も老人も地域で暮らし続けられる方向への第一歩として評価しています。
15 障害児・者の「きょうだい」
母親と障害児・慢性疾患児だけを対象とするのではなく、父親、「健常のきょうだい」、祖父母も視野に入れたサービス・支援を考えるべきだと思う。
【このアンケートについて】
基本的に「親の会」が対象のアンケートなので、答える意味があるのだろうかと思いながら回答しましたが、「きょうだい」の立場を伝える少ない機会なので、返送させていただきます。
親が年老いたり、死んだあとのことを考えて、「健常のきょうだい」が小学生の頃からどれだけ不安を抱えて生きているか、ほとんどの親が、将来は「健常のきょうだい」に頼ろうという考えをもちながら、将来のプランを「健常のきょうだい」に話さないという事実に気づいてほしいです。
場合によっては、親よりも長く「健常のきょうだい」は、障害者とともに人生を歩むのです。にもかかわらず、「健常のきょうだい」に積極的に保健・福祉・医療・サービスの情報を与えようとしている機関・「親の会」は皆無だと思います。
「健常のきょうだい」にとって必要な情報は、年齢に応じた正しい医学的知識、義務教育が終わったあとの障害者に対するサービスについてなどです。今回のご研究が目的としている「子育て期」とは、いったい障害児が何歳になったら子育ては終わると定義されているかわからないのですが、「健常のきょうだい」も視野に入れた、成人後の障害者に対するサービスに関連する、このような研究が将来なされることを希望しています。
(追 加)今回のアンケートは障害児・慢性疾患児の子育てに関わるアンケートでしたが、きょうだいとして発言する場を与えられたので、ひとこと書かせていただきます。福祉サービスが、母親や障害児・慢性疾患児だけを対象としたものから、父親、「健常の」きょうだい、祖父母までを含んだすべての家族員を対象としたものに変わっていくことを願っているからです。
1997年10月に、私はアメリカ・ワシントン州シアトルにある子ども病院・地域医療センターが行っている「きょうだい支援事業 the Sibling Support Project」(以下、SSP)を知りました。それは、まさに私がほしいと願っていたものであり、日本におけるきょうだい会(全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会)のあり方に失望していた私に、道を開いてくれたものでした。1998年8月にそのディレクターを訪ね、きょうだいのためのワークショップなどを日本にも導入したいと、きょうだい仲間と準備中です。(以下、慢性疾患児という言葉は省きますが、かれらのきょうだいのことも入っています)。
きょうだいは親が経験する悩みや問題も持ちますが、幼いきょうだいは自分で仲間を探し出す力もお金もなければ、情報を集める力もなく、まだ自分というものが確立されないがゆえに持つ悩みも持っています。また、親亡きあとにきょうだいのめんどうを見るにあたっても、「親」ではないために持つ悩み・問題が待っています。
SSPのディレクターMeyer(マイヤー)氏が「why we think brothers and sistersare too important to ignore」(なぜ、きょうだいは重要か)と題してまとめている文も参照しながら、なぜ、きょうだい支援が必要か述べたいと思います。
まず第1に、きょうだいは生涯を通じて、障害者とつきあい、多くのきょうだいが好むと好まざるにかかわらず、親亡きあとに親代わりの一端を担います。しかし、親亡きあとの障害者の暮らしについて、親と率直な話し合いができているきょうだいは、ほとんど皆無です。心配するなと何も知らされず、ある日突然親は逝きそのあと大変な思いをした者、親が将来の計画を立てていなかったがために、自分の人生を壊された者、親とまったく同じに障害者のめんどうを見なければならないとプレッシャーを受け続けた者、将来の計画について親に尋ねると親不孝呼ばわりされる者………。
次に問題なのは、子ども向けに書かれた障害・病気に関する印刷物がほとんど皆無であることです。その結果、健常のきょうだいは、障害の医学的知識についてもきちんと教わらず、きょうだいがハンディを持ったのは自分のせいだと罪悪感を持ったりもします。
第3に、親の愛情の欠如です。障害児に手がかかる結果、健常児にとって親が親としての機能を果たさず(たとえば、聴覚障害の場合に、ハンディを持つ子の話は一生懸命聞くが、健常児の話はろくに聞かない)、孤独感を感じて育ってきたきょうだいもいます。
第4に、ときに重すぎる「責任」です。子どもが担うには重すぎる介護負担をこなしてきたきょうだいもいます。ある程度の負担は、子どもの成熟を早めるといったよい結果に終わることもありますが、重すぎる負担は健常のきょうだいの社会的活動を阻みます。極端な例では「おまえたちはハンディのあるきょうだいのめんどうを見るために存在する」と、それ以外の自分の人生を親に否定されてきたきょうだいもいます。
親亡きあとに自分が果たさねばならない役割は何か、多くのきょうだいが小学生のときから考え、1人で悩んでいます。それなのに、後見人制度とは何か、必ず後見人制度を使ったほうがよいのか、自分が持つ財政的な負担はどれくらいなのかといったことに関しても、きょうだいのためのまとまった資料はどこにも存在しません。
親とちがって、障害児・者に対する支援プログラム、情報源そしてpeer support(同じ立場の人に出会うこと)に接する機会をほとんど与えられないまま、多くのきょうだいはたった1人で人生の難題を切り抜けてきました。しかし、切り抜けられずに自殺してしまった者もいます。
障害児の親にとって、同じような立場のほかの親と出会って情報交換することなしに、「1人でやっていきなさい」ということは考えられないことです。でも、このことは「健常のきょうだい」にはふつうに起こっています。学校で地域で、ハンディを持つきょうだいがいじめられても、だれともその悔しさを共有できずに。自分がひどい目に遭っても、親にこれ以上心配の種を増やしてはいけないと親にも言えずに。もちろん、親のすべてが障害児を受容できているわけではないのと同じに、きょうだいの立場もさまざまです。
ハンディのあるきょうだいと一切関わらない者、関わらないどころか親亡きあとにハンディのあるきょうだいの相続権(財産)を侵害する者、積極的にきょうだいのめんどうを見てきた者、きょうだいの存在の影響で福祉関係の仕事に就く者、ハンディのあるきょうだいのことを隠さずに生きてこれた者、隠してしか生きてこれなかった者・・・。
ですが、同じ立場のきょうだいと出会う機会を、幼少期から保障されていたならば、解決できただろう悩みもあるし、起きなかった問題もあると思います。アメリカの例では、当初ハンディをもつきょうだいに対し「怒り」を持っていた子どもが「きょうだいのためのワークショップ」などを経験したことで、きょうだいを積極的に助けるまでに変わったという話も聞いています。
福祉サービスの構築を考える人たちに忘れてほしくないことは、大人になればきょうだいはそれぞれの人生を歩むのがふつうなのだということです。きょうだいのだれかにハンディがあるとそうはいかないから、きょうだいは苦しむわけですが。健常のきょうだいが理解ある伴侶に出会い、また財力などの条件が整っていて、ハンディのあるきょうだいと暮らしている場合もあって、ノーマライゼーションのよい例だともてはやされたりもしていますが、こういった例はあくまでもオプションの1つと考えてほしいのです。
それぞれがお互いの人生を歩めるように、施設・グループホームでの生活の質がもっとよくなるように、サービスを向上させてほしいと思います。多くのきょうだいが、「施設はよくない」と思い、それでも入れざるをえなかった者は罪悪感に苦しむのですから。このことは、一人っ子の障害者の人権を守ることとも深く関係していると私は思っています。
ともかく、健常のきょうだいは、障害者とともに人生を歩むのです。ときには、親よりも長く。ですから、障害児・者へのサービスについての話し合いには、親だけではなく、健常のきょうだいも含まれべきだと、私は強く思います。きょうだいが話し合いに参加することで、親が障害児を甘やかしすぎて本当ならできることまで、できなくしてしまう(生活能力の問題)という親の愛情の弊害を防ぐ役割もすると思います。
16 ダウン症
生まれた子どもが障害をもっているということがわかった時に、どういう段階でどういう所に相談をすればいいのか、どこに聞けばどういうことがわかるのか等の情報がシステマティックに提供されるような状況になっていない。どんな福祉施策があるかを積極的に知らせようとしていないことに対する不満がある。
療育・障害者手帳を全国どこででも同じ条件で交付する、受けられるサービスや援助、支給される年金・手当、免除される公共料金などを全部知らせる、手帳更新時期や等級の変更が予測される場合の通知等をしてほしい。
障害をもつ子どもを持った親はまず、早い時期には親に対するカウンセリング、精神的サポートが必要であるけれども、そういった公的な機関はほとんどない。また、療育に関しては、公的な場やスタッフが少なすぎる。関係機関の連携や親の会などの紹介などはまったくなされていない。
医療的には、早期にわかる合併症については早急に治療されるけれども、それ以外の、障害による身体的特質によって生じる、耳鼻科、歯科、眼科的なケア、頚椎、脳波などの健診、また成人病予防などのケアを、時期に応じて連携をもって行ってほしい。
“保健・医療・福祉の活動への住民参加”というと、住民がボランティア的に労力を提供するという印象があり、住民に負担がかかるのではないかと心配だ。
行政側は住民の意見を聞く場を設けることではなく、住民の意見を反映させることを目的とした住民参加を設定してほしい。
また、子ども達が将来、それぞれの地域で独立した生活をする為にも、活動の住民参加が有効になればいいと思う。
17 ダウン症およびその他の知的障害・障害者の「きょうだい」
成人した障害者の健康管理や専門医の情報、医療対策、施設やグループホームの現状、相談機関の設置、税金保護対策、人権擁護対策など、親亡き後のフォローに対する対策や施策がはっきりしていない。特に精神面でのケアや施設などの状況、ケースワーカーの育成など、明確にしてほしい。成人した障害者の高齢化対策や、その世話役の育成にも行政として力を入れてほしい。