保健所の母子保健に関する雑感
平成9年の母子保健の市町村移譲を前に,障害児保健の重要性と保健所機能に
ついて考察したエッセイです。
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私は耳鼻咽喉科の医師でしたが,大学の公衆衛生教官を経て,平成5年より,
保健所に勤めています。
以前,臨床にいたとき,難聴児や耳の慢性疾患児を多く診ていました。この経
験を通じて,もっと早く見つけて治療・療育できたなら,もっと子どもや家族の
人生はかわったかもしれないと思っていました。そして,「地域や保育所などの
健診で,もっと軽いうちに見つけてくれたらこんなに苦しまなくてすんだのでは
ないか」とか,「長期に病気で苦しんでいるのに,全然家の中とか地域でのサポ
ートがない」とか親の悲痛な訴えを聞いても,何もできない自分がそこにありま
した。私がこの公衆衛生の世界に入ったのは,病院で診察室の椅子に座って待っ
ているのではなくて,なにか地域レベルでその辺のとりくみ,かっこよく言え
ば,この領域での,普遍化が可能な,地域単位での早期発見,早期治療,療育シ
ステムをつくれないかと思ったからです。今を思えば,自分の能力も省みず,公
衆衛生の学問とか,保健所がどのようなところかも知らず,この世界に飛び込ん
だ訳ですから,ずいぶん単純な人間です。
時は,ちょうど,三歳児健診に聴覚健診が導入された平成2年でした。耳鼻咽
喉科学会の協力を得て,運よく,この香川県で,三歳児健診の聴覚言語健診につ
いて,平成3年よりいままでの間の約4年余り,県庁担当課,医科大学,耳鼻咽
喉科学会地方部会などを巻き込みながら,いろいろととりくむことができまし
た。この過程で,できたこと,できそうなこと,かなり無理そうなこと,とても
できそうでないことがある程度わかってきました。この過程自身は,この会の
「事例に学ぶ」の趣旨の通り,一事例として提出することもできますが,それは
またの機会にするとして,今回は,違った面を述べてみたいと思います。
三歳児健診は市町村移譲問題で揺れていますが,以前より忘れ去られているこ
とがいくつかあります。ここでは障害児保健について考えてみましょう。
三歳児健診は大きくわけて身体面と精神発達面の2つを扱うことになっていま
すが,後者についてはやや弱い部分です。また,ご存知の通り,児童福祉法上
は,その「療育指導」といわれるフォローとコーディネートの部分は,身体的な
障害については保健所が扱える根拠がありますが,精神発達面では児童相談所が
扱うことになっています。ですから,精神発達の網をかけられると保健所の関与
が難しくなる実情があります。
ところで,知的障害が認められる場合には,それが医学的に,ある程度きちん
と診断されることが,その後の療育のためには必要です。たとえば,ことばの遅
れがある子は50人健診すれば1人は見つかりますが,そのとき,実は,しなけ
ればならないことは本当にたくさんあるのです。
言語発達の遅れは,精神発達の遅れであることが多いようですが,同時に身体
障害でもあるのです。このことはほとんど論じられていないのですが,三歳児健
診の市町村移譲にあたって,もっと重要視されるべきことであるということを強
調しておきたいと思います。知的障害に加わった重複障害も結構みられ,たとえ
ば精神発達遅滞に加えて,聴覚障害がある場合も少なくはないのですが,その治
療とか補聴がなされないまま療育を行っても,十分な効果は期待できないでしょ
う。しかし現実には,「対話が可能だから(実際には,高度難聴でなければ対話
は可能ですが,内容の理解については健聴児のようには十分にはできないし,細
かい内容がわかりにくく,3人以上の会話になるとついてゆけなくなる)」とい
うことで放置されているケースが少なくないのではと思います。それはことばの
障害があって,どこかの時点で,何らかの聴覚の客観的な検査がなされたケース
が,どの程度あるかということです。現行の三歳児健診では,厚生省の方式をと
る限りでは,客観的検査は導入されていないことに注意すべきで,これはすなわ
ち,ことばの問題があった場合には,聴覚健診はたとえアンケートで異常がなく
とも精密健診をしなければならないことを意味しています。また,自閉傾向とい
うことで,療育されているにしても,聴覚に加え,脳の障害についてはやはりい
ずれかの時点で確認しなければならないでしょう。その医学的な状況によって,
療育の方法や見込みがわかり,画一的でない,ケースに応じた援助手段を考える
ことができます。これをきちんとやるにはシステム化が必要ですが,知的障害児
が就学するまでに,これらのシステムが稼働していれば十分な早期療育が得られ
る可能性があるのです。しかし現実には,このような身体的な障害と,精神発達
面とは遊離しているのではないか,そしてそれがそのまま移譲されようとしてい
るのではないか,と憂慮するのです。
ところで,保健所の障害児に関する二次機能に関連して,特定の療育機関と事
業を共同で持つ形はよく保健所でも行われていますし,成果もあげつつありま
す。しかし,保健所機能として確立するのであれば,療育機関の出先と化したよ
うな事業では,必ずしもニーズにマッチしているとはいえず,保健所の主体性
(少なくとも療育機関の先生と対等に話し合いができること)や,利用者の選択
の自由度も確保されなければなりません。そういう,主体性や,対象児や保護者
の選択の自由度を確保しながら,どうやってこういうシステムを作って行くか。
障害児保健(療育・教育)の現在の流れを変える,これは身体障害と知的障害の
アプローチの連携(個人レベルでは統合)と,保健医療福祉教育の連携(個人レ
ベルでは統合)という2面あるのですが,これには心理・教育・福祉系職種に加
えて,保健・医療職種の関与と連携が必要となってくるでしょう。その意味で
も,コーディネーションを保健所がとることができるのか,他の機関がとるのが
適当であるのか,ここ2〜3年で十分考えるべき時だと思います。
もちろん理想的には障害児療育の入り口である保健所がとれれば良いのですが
(日本公衆衛生雑誌1994年10月号掲載の小論参照),現状のままでは,法的なし
がらみや与えられている能力の点では,継続性を持った形でとることは難しいで
しょう。個人的にはネットワークを作ってきました。しかし,個人的なネットワ
ークはつくれても,それを普遍化できるかどうかは,もっともっと大きな力が必
要な予感がしています。
保健所にいると,いろんなことにどのように「かかわり」を持とうか,とすぐ
考える癖がついてしまうのですが,これは結構自分中心的な考えに陥りやすく
て,最近は,何はともあれまず「かかわり」という姿勢ではなく,「自分が何が
できるか」に発想を転換することが必要だとおぼろげに感じています。「自分が
何ができるか」わかれば「かかわり」方がわかってくるのではないかと。